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鶴岡八幡宮:2024年6月3日・神社本庁から離脱

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日本が、神社が、乗っ取られているのかも・・

文科大臣所轄の包括宗教法人である神社本庁

戦後GHQによる強制的な日本文化破壊プログラムの一環として「神道への干渉」があったのは有名で、現代版神社本庁設立もこのあたりに起因しています。

終戦直後の、伝統保護目的の『苦肉の策』を問題視するつもりはありませんが、年を経るごとに監督官庁(文部省・文科省)や政治(自民・日本会議)などとの互助関係(癒着)が進み、今では怪しい不動産売却事例や、予算とひも付きの官僚もどきが有名神社の最高宮司に天下り的に出向する事例も散見されていたのですから、↓の様な揉め事が起ったのも自明の理だった事でしょう。

KYODO NEWS:「統理の権威ないがしろ」 鶴岡八幡宮、神社本庁離脱を説明

2024年6月20日

神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮『吉田茂穂』宮司記者会見発言

吉田宮司

「神社本庁が設立されて80年近くも経ちますと、神社本庁自体も変容し、ここ十数年来組織活動は恣意的、独善的状況がみられると受け止められています。それは神社界の宗教的権威である統理様を中心とする神社本庁のあるべき姿が壊れてしまっている事を物語っています。統理様の権威をないがしろにし、これでは内部から神社本庁の正常化を目指す事を断念せざるを得ないとの思いにいたり、責任役員や氏子総代とも相談の上、神社本庁の傘下から出る事を決断いたしました。」

ちょっと豆知識:統理(さま)とは

統理(とうり)

ある組織団体などを「統一しておさめること」

神道での統理(さま)は宗教的権威者を指しており、歴代の統理は神職・旧皇族・旧公家が配置されてきました。

  • 戦後初代:長谷外余男 氏
  • 二代:鷹司信輔 氏
  • 三代:佐佐木行忠 氏
  • 四代:徳川宗敬 氏
  • 五代:細川護貞 氏
  • 六代:東園基文 氏
  • 七代:久邇邦昭 氏
  • 八代:北白川道久 氏
  • 九代:(2018~現在)鷹司尚武 氏

宇佐八幡宮の事例・・

ある意味、

神社本庁に乗っ取られた神社として日本一有名になっているのが大分県宇佐八幡宮(全国八幡宮の総本社)。

宇佐八幡・上宮前大鳥居

『宇佐八幡宮事件』のあらましを簡単に説明すると・・

平安期より宇佐八幡宮司職を世襲で務めてきた到津家。

その末裔・到津公齊氏の死去直後(2009年1月)から、神社本庁による到津家排除の動きが表面化したとされています。

父・公齊氏の後継者となった到津克子氏に対し、別宮司などは度重なるパワハラ行為を繰り返したとされています。

神社本庁は、パワハラからの避難を理由に一部神事への出席を見合わせていた到津克子氏に対し、容赦なく任免権を行使。

結局、神社本庁は経験不足などを理由に到津克子氏の宮司職就任を認めませんでした。

~神社本庁は2014年5月15日付、到津克子氏を解雇処分~

これら事情を背景とした宮司職後任人事を巡り、今度は宇佐地元組織と神社本庁とが対立。

2016年2月当時、地元神職氏子総代計約250人が推す宮司候補を神社本庁は一蹴。

神社本庁(田中恆清総長)は地元の推薦を無視し、(東京)総務部長であった(子飼いの)小野崇之氏を宇佐八幡宮宮司職に就かせました。

その後、小野氏側は自らの宮司職就任に異を唱えた格好となった地元組織に対し「謝罪文」を要求。

「詫びを入れる事で揉め事が収まるならば・・」と、

一旦は謝罪文を提出した地元組織も、その後に行われた新宮司側の強権的やり方(到津家への嫌がらせ・住居立ち退き要求・到津家側が支払っていた電気・ガス契約を一方的に解約・宇佐神宮駐車場問題など)に反発を強め、とうとう2年後の2018年には『宇佐神宮を守る会(久保繁樹代表)』が、「神社本庁からやってきた新宮司は宇佐市民と折り合いが悪く、宮司にふさわしくない」等の理由を掲げ、小野・大久保宮司職の罷免を求めた署名運動を行う事態へと発展したのです。

注1:大分地裁中津支部(澤井真一裁判長)は2018年2月13日克子氏に対するパワハラを事実と認定「人格的利益を侵害した」「不法行為に基づく損害賠償」。未払い賃金なども合わせて約137万円の支払いを命令

注2:『宇佐神宮を守る会(久保繁樹代表)』が集めた署名は3006人分だったそうです。

参考外部リンク⇒西日本新聞me2018/1/30配信記事:『宇佐神宮宮司らの罷免を求め市民が署名活動 市民団体「信頼関係壊した」 神宮「批判は一部の人」

神社庁から離脱する神社の気持ち

ある種官僚的組織としての色合いを強める神社本庁側と、古来からの伝統を重んじる地元・世襲・氏子組織との軋轢は、上記宇佐八幡宮の事例を紐解くまでもなく、近年全国各地で顕著となっていました。

例えば、

令和元年大嘗祭に絡んだ神社本庁のやり方に不信を抱いた香川県金刀比羅宮では、以下の理由をもって「神社本庁との被包括関係を廃止すること」を、広く地元・参拝者・国民に案内していました。

神社本庁離脱の経緯

ここ数年、神社本庁では、不動産の不正転売が問題となっており、各報道によれば、本庁執行部が著しく関与しているとも聞き及んでいる。当宮も、神社本庁と包括関係にあり、事実であれば、非常に遺憾であると感じていた。

詳細は「神社本庁の自浄を願う会」のサイトをご覧ください。

更に、令和元年五月一日、天皇陛下が即位なされ、この奉祝の年、神社本庁からの通達第八号に従い、当宮でも、十一月十四日、大嘗祭当日祭を斎行した。

11月14日 「即位礼当日祭・大嘗祭当日祭」を齋行いたしました。

金刀比羅宮 年刊誌「こと比ら」70〜71ページ『令和元年11月14日「大嘗祭当日祭」斎行、奉祝記帳所設置』(PDF)

同通達によれば、「大嘗祭当日の祭祀にあたり臨時に本庁幣を供進する」とあったが、当宮には『臨時の神社本庁幣』が届かなかった。

当宮では、大嘗祭当日まで、『臨時の神社本庁幣』の到着をお待ちしたが、神社本庁からも香川県神社庁からも何の連絡も無く、天皇陛下の思し召しである『臨時の神社本庁幣』をお供えすることも出来ないまま、祭典を斎行した。

天皇陛下一代に一度の、奉祝の大御祭に際し、臨時の神社本庁幣が届かなかったことは、決して許されない無礼な行いであり、天皇陛下に対しても不敬極まりない行為であると言わざるを得ない

この『臨時の神社本庁幣』を頂けなかった理由について、神社本庁に問い合わせたところ、「臨時本庁幣については、神社庁から交付するよう依頼している」との回答。香川県神社庁からは、「臨時幣帛料は、例年の幣帛料と同様に、令和二年の一月下旬から二月上旬に交付を予定している」との回答。天皇陛下からの思し召しであるにも関わらず、神社本庁の「それは神社庁に任せてある」などと回答することも、天皇陛下への不敬ではないか。また、香川県神社庁からの「臨時幣帛料は令和二年の一月下旬から二月上旬に交付」との回答。大嘗祭当日祭の数か月後に幣帛料が届いて、何の意味があるのか。

当宮に対する嫌がらせとしか思えない。

香川県神社庁からの回答(PDF)
【注記】神社本庁への毎年の特別寄贈金が云々、これは任意のもので、強制・強要・強請されるものではない事を念のため申し添えておくものである。

神社本庁からの回答(PDF)

当宮としては、これを機に、神社本庁との被包括関係を廃止することとした。

令和2年6月5日

出典:金刀比羅宮 神社本庁離脱の経緯

上記事情を踏まえれば、2024年6月20日鶴岡八幡宮『吉田茂穂』宮司が記者会見で語った文言(心情)も、↑趣旨をふんだんに踏襲している内容と見積もっておくべきでしょう。

【金刀比羅宮はこんなところだよ♥】

注:ちなみに2024年現在、神社本庁から離脱(神社本庁との被包括関係に属さない)している有名神社(鶴岡八幡宮・金刀比羅宮除く)は以下の通りです。

靖国神社・伏見稲荷大社・出雲大神宮・日光東照宮・富岡八幡宮・武蔵御嶽神社・鎌倉宮・気多大社・梅宮大社・梨木神社・建勲神社・車折神社・石切剣箭神社・日前神宮・國懸神宮・草戸稲荷神社・淡嶋神社など

まとめ

2600年を超える昔から引き継いできた伝統文化は言うに及ばず、今や国家観さえ喪失したのではと噂される私たち日本国民は、本当に『神様の氏子』『天皇の赤子』をやめてしまうつもりなのでしょうか?

  • それがたとえ無自覚だとしても
  • それがたとえ時の潮流だとしでも

一度失ったものは二度と帰っては来ません。

みなさんもお気付きでしょうが、今回、神社本庁からの離脱を発表した鶴岡八幡宮の”決断””戦後”と無縁ではありません。

今後、日本全国の神社が伝統文化保全のため否応なしにどのような組織に属し、そしてどの様な変容を余儀なくされていくのか否か・・

明治神宮の森(明治神宮外苑再開発計画)に、戦後&外資&神社本庁&各種売国勢力が絡んでいないかも含め、

当サイトは、日本の精神(神社)を護るために”戦後”に抗っていくつもりでいます。

~みなさんは如何なさいますでしょうか?~

おしまい。

かしこまったタヌキ
かしこまったタヌキ

今回の記事は神様に関係しておりましたのでケモノ衆によるお囃子はお休みです。