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いい歌紹介2:君が代の年の数をば白妙の浜の真砂と誰かしきけむ

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歌・読み・意味

『君が代の 年の数をば 白妙の 浜の真砂と 誰かしきけむ』

(きみがよの としのかずをば しろたえの はまのまさご(まなご)と だれかしきけむ(ん))

意味:お仕えする我が君の治世の悠久(年数)を、浜一面に散らばる真っ白な砂の数として、誰が敷き詰めたのでしょう。

出典・作者

出典:新古今和歌集(賀歌710)

作者:貫之(紀貫之)

歌の背景

『貫之集』によると「延喜2年、白浜を題とした左大臣(邸宅)の屏風歌」として詠まれたそうです。

白浜は紀伊の国(現和歌山県)の枕詞で、和歌山県白浜町の海岸の事。別名で「白良しらら」とも呼ばれていました。

当時貴族の間では屏風やふすまを賀歌などで飾ることが流行っていました。本歌も「今上(醍醐・朱雀)陛下の御代が末永く続きますように・・」との願いが込められていて、屏風を飾る歌として大変相応しいものだったに違いありませんね。

白妙とは

「しろたえ」「しらたえ」とも。


こうぞ類の皮からとった繊維「たく・たえ」で織った布・衣。

神に仕える巫女が着る白い衣・死装束などの意味もあり。

歌の世界では「衣」「たすき」「袖」などの枕詞として・・さらに「妙・栲」は水に濡れると白が際立って見える事から、単に白く見えるもの「雪」「波」「雲」などにも掛けて歌われます。

例:百人一首2番『持統天皇』

「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の ほすてふ 天の香久山」

例:百人一首4番『山辺赤人』

「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に は降りつつ」

勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)とは

上皇や天皇の命により編纂された歌集の事。

ちょくの意味がそもそも上皇や天皇の名によって出された命令(命令書)の事。「詔・みことのり」とも呼ばれます。

紀貫之(きのつらゆき)について

生年:はっきりしない(860~870年代)

没年:天慶8年(945)5月18日

木工権頭もくのごんのかみ:従五位上

紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒・とともに勅撰和歌集として初の『古今和歌集』を撰上。

貫之の歌は勅撰和歌集に400首を超える作品が入集(最多数)されていて、当時としてもまた現在においても日本の代表的歌人の一人として数えられています。

貫之集とは

10世紀中ごろ(946年?)に成立。

紀貫之の歌を集めた平安末期の写本で、石山切二枚継・村雲切等、古筆切本。

平安時代の文学を今日に伝える貴重な資料として国の重要文化財に指定されています。

藤原定家臨書紀貫之筆 『土佐日記』尊経閣文庫

貫之が土佐の国(現高知県)から京に向けての道中に記したとされる『土佐日記とさにっき』は、日本文学史に残る日記の最古例の一つとして有名で、嘉禄元年(1235)藤原定家による書写は国宝に指定されています。

雑談

悪いネズミ
悪いネズミ

百人一首の「人はいさ~」で有名な人でしょ?

タヌキ
タヌキ

三十六歌仙の一人。

平安時代の代表歌人でおじゃるよ。

嫡男:スラ
嫡男:スラ

でも世間的には、『土佐日記』の作者としての方が有名かもしれないね。

タヌキ
タヌキ

『土佐日記』は道中の出来事を冗談を交えて綴っていて、単に歴史的資料としてでなく読み物としても面白かったりするからね・・で、おじゃる。

特に、土佐で亡くした「娘」への気持ちが込められた箇所は胸が締め付けられるでおじゃるね・・

貫之のその他の代表歌:

『霞たち このめも春の 雪ふれば 花なきさとも 花ぞちりける』

意味:霞がたち、木の芽が芽吹く春になっても雪が降ったならば、未だ花の咲かない里にも、まるで”花と散るように見える雪”が降るのだろうか・・。