【日本の歴史】令和の御代、先人方の弛まぬ努力の結果『平和』を享受していられる私たちだからこそ知っておきたい日本の国柄・大転換点。
本項ではタヌキが独断で選んだ日本史上の三大転換点を「流しそうめんの様に」解説していきます。
今回は歴史的断層面:①『大化の改新~白村江の敗戦』編です。
注:歴史講座ではありません。専門的に調べたい方はそれぞれに特化した環境にておねがいしますね。
問題:日本史上大きく国柄を揺るがしたと思われる出来事(断層面)を三つ答えよ。
このような問題を出されたあなたは・・果たしてどの時代の、どの事件・出来事をあげますか?
先にタヌが思う出来事を紹介しておくね!
①大化の改新~白村江の敗戦
②南北朝の争乱(元弘の乱~南北統一)
③大東亜戦争敗戦~現在
あ、死んだじいちゃんが呼んでる・・
(難しそうだから逃げとこ~~)
さ、夕ご飯の準備準備っと
宿題しなきゃ~
(ミニファミコンの魔界村は難しいんだよ~~)
??
日本語??
俺は
①保元の乱~承久の乱
②応仁の乱~戦国期
③明治維新~
かな・・・
みんな逃げやがった・・
今回はスラと二人だけでやるか・・
今回は①の大化の改新~白村江の敗戦を取り上げていきます。
注:歴史が苦手な方も・・一番最後の「まとめ」だけでも見て行ってね。三行要約置いとくから。
日本の歴史的断層面1:大化の改新と白村江の戦いの説明
大化の改新はみなさんも受験等でザっと知っているかと思いますが・・簡単に説明すると⏎
- 「中大兄皇子」(後の天智天皇)&「中臣鎌足」(後の藤原鎌足)が協力して
- 皇位の継承にまで介入できるほどの権力を誇った「蘇我入鹿」を
- 皇極天皇の皇居で暗殺した、皇極四年(645年)の6月14日の出来事
- その後蘇我氏は滅亡する。
ま、正確には入鹿暗殺から始まる一連の国政改革全体を表すのが『大化の改新』なんです。
そして白村江の戦は・・⏎
- 390年頃には朝鮮半島南部に大和朝廷(倭国)の領地(任那・加羅)が存在した
- 600年代になると半島では「高句麗」「百済」「新羅」の争いが激化する
- 660年友好関係にあった百済が滅亡
- 百済再興を図る勢力が当時倭国にあった豊璋王を擁立し救済を要請
- 中大兄皇子了承⇒難民受け入れ・のち唐・新羅との対立激化
- 663年朝鮮半島白村江付近の海戦で倭・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大敗
- 当時世界の玄関口であった朝鮮半島内の足掛かりを完全に失う。
こんな感じの出来事なんだよ!
二つの出来事が歴史的断層と思う理由は?
あまり詳しく書いても退屈なんで、ザックリ説明すると・・
大化の改新より前の日本列島はまだまだ各豪族の力が強く、その権威こそ一応天皇に集中していましたが、蘇我氏などの介入で天皇を次々と擁立したり廃したりするなど、とても君臣・臣下の区別が出来ていたとは言えなかったんです。
その専横の中心的存在「蘇我氏」を大化の改新(正確には乙巳の変)で滅亡させたのですから、目指すべき国柄の方向性は・・
天皇(家)を中心とした「中央集権国家」を誕生させる事!だったんです。
600年代には大陸に『唐』(鮮卑人のつくった国家)という巨大国家が誕生していたし、朝鮮半島内でも三大勢力が統一を図ろうとしのぎを削っていました。
そのような中、いつまでも小国の代表が集まっての合議や、離合集散・小競り合いを続けていたのでは日本列島そのものが滅んでしまうかも・・
そしてさらに追い打ちをかけたのが、白村江での大敗です。
これにはさしもの倭国も、列島各地の小国の王も・・
「明日にも大軍が列島に攻め入ってくる!」と、危機感を募らせます。
その結果列島は天皇を中心とした国造りの重要性を認識し、いわゆる天孫神話の系譜を頂点として皆が、
『同じ家の住人として共に栄えていこう』という運命共同体意識を深め、国造りを急速に進めて行きます。
現在の国を定義する3要因は「主権」「領土」「国民」だけど、
原始日本国は「神話の共有」「権威(天皇)の共有」「敵も味方もなく日本列島に暮らす民すべて」・・この3つの共有意識の深化(皇民化)が・・国造りの基礎だったんじゃないかな?
みなさんになじみの「令和」という元号も、その最初を辿ると実は大化の改新の「大化」が始まりなんです。
その後の推移
大化の改新で天皇の権威が安定し、白村江の敗戦後には「統一国家・中央集権国家」の必要性が確認され急速に国政が刷新されて行きました。
この頃建築されたもの(遺跡)一覧
- 水城(みずき)・・664年白村江敗戦後大宰府防衛のために築城された城「現:福岡県太宰府市・大野城市・春日市にまたがる」
- 大野城(おおののき)・・665年「水城」と同じ理由により築城。日本一の規模を誇る古代城跡「現:福岡県太宰府市・大野城市にまたがる」
- 鞠智城(くくちのき)・・推定660代「白村江敗戦」に伴い築城。「現:熊本県山鹿市・菊池市にまたがる」
- 近江大津宮・・天智天皇6年667年「白村江敗戦」に伴い飛鳥から都を遷都。当時の朝廷の力の及ぶ最東端説あり。672年壬申の乱後廃都「現:滋賀県大津市錦織付近」
この頃進められた改革・制度一覧
- 皇極天皇4年6月19日(645年)「大化」元号の誕生(建号)
- 689~701年(大宝元年)頃「日本」国号の誕生
- 班田収授法(646~689年頃)~墾田永年私財法(743年)に続く農地法改革
- 天智天皇9年(670年)「戸籍制度」の本格始動
- 天武天皇14年(685年)家ごとの「仏壇」推奨
- 大宝元年(701)の大宝律令によって律令制の本格始動
大陸に近い九州の守りを厚くし、都も非常時に備え遷都する。
他方、元号や国号の誕生、それに戸籍の始まりだったり・・
現代にも引き継がれている「国防の基礎」「国家の基礎」がこの時代に整備されていたことが分かるでしょ!
まとめ
MR.タヌキの『今北三行』まとめ!
①『天皇は国の中心、わかったか!』⇒大化の改新・蘇我氏滅亡
②『やっべ、大陸が攻めてくる!!』⇒白村江敗戦・でかい国を作ろうぜ!
③『神話・権威・民の共有や!!!』⇒日本誕生・元号・国号・戸籍制定
おお~。
言われてみると確かに断層面になっている気がするぞ~~
日本が誕生する大きなきっかけになったのがこの頃だったんだ~
スゲ~~
ネズ・・いまごろきたの?
うん。おれっち読者代表だから♡
これからも最後に三行まとめ置いといてね♡♡
我が国の国旗・日章旗はすばらしい
みなさんも我が国の国旗『日章旗(日の丸)』を思い浮かべてみてください。
『天の原』に迷うことなき光を『煌々』と輝かせる太陽を中心に森羅万象が巡るように・・
~国家日本も~
『天皇』(天孫神話)を中心にみなが等しく家族の様に暮らし力を合わせ助け合っていく・・
このような精神の顕彰が『日章旗』に込められているのではないでしょうか?
国家の基礎造りには欠かせない大事件として
「大化の改新」と「白村江の敗戦」が一大転換点となったという意味で、
日本の断層面の一つにさせていただきたいタヌ。
マメ知識:八紘一宇
『八紘一宇』ってなんのこと?
『日本書紀』の巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」
兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎
「六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや」
意味:集落が集まり国となったように、別々に暮らしていた人々が「一つの家に住む家族の様に」仲良く暮らしていきましょう!
日本の建国以来の国体(国のかたち・体質)を、一言でまとめたような言葉で
伝統的にも精神的にも非常に「相応しい」言葉なんだけど・・
「不思議な事に」我が国の出版社が発行する言葉辞典の様な書籍では、目を疑うような記述がなされているんです!
みなさんご存知でしたか?
歪曲した記述内容を要約すると・・
大東亜大戦時⇒シナ・亜細亜諸国を侵略する⇒スローガンとして⇒(悪用)用いられた
って感じで「八紘一宇」を紹介しているそうです。
え、タヌさん実際に見ていないの?
出版社や書籍の名前は??
ムフ♡日本にそんな出版社があるわけないじゃん!
噂、噂。
敵性宇宙人の広げたプロパガンダを宇宙人がやっているんだよ。
真実ははっきりしてんのに、いまだに戦後を維持したい勢力がバレてないと思いながら我が国を貶めているんだから・・追い出さないとな!ふるさとへ
みんなも興味のある方は調べてみてね!
「八紘一宇」の正しい意味と、言葉の歪曲とともに我が国に仇なす勢力の痕跡を。