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『人権』:世界で乱用される危険な言葉の正体に迫る

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画像説明:【ジンケ~ン、ポイ】めんどくさ過ぎて色々間違えてるケモノ衆の図

近年、先進国家・自由主義国家においてつとに・・・叫ばれる『人権』という言葉。

そこに掲げられる理念・精神には非常に共感できるのですが、なぜか一方通行の”空想論”・”言論弾圧の具”といった一面を感じ取ってしまう方も案外多いのではないでしょうか?

タヌキ
タヌキ

本記事では、『人権』という言葉の持つ力・実社会で用いられる使用例などに特化してザックリと振り返っていきたいと思います。

世界人権宣言「第一条」では・・

第一条

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。

人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

世界人権宣言

とても崇高な理念ですね!

植民地支配の実態・日本やドイツでの戦勝国側の無差別空爆などが明るみになりはじめた1946年頃から各国で議題に上った基本的人権に関する取り組みが、紆余曲折ありながらも合意を得て発表されたのが『世界人権宣言』です。1948年12月16日が批准日。

日本は世界人権宣言を基礎として生まれた国際人権規約を1979年に批准しています。

国際人権規約

国際人権規約は、世界人権宣言の内容を基礎として、これを条約化したものであり、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものです。社会権規約と自由権規約は、1966年の第21回国連総会において採択され、1976年に発効しました。日本は1979年に批准しました。なお、社会権規約を国際人権A規約、自由権規約を国際人権B規約と呼ぶこともあります。

外務省(引用:2021/5/25)
タヌキ
タヌキ

宣言自体には各国を縛る法的拘束力はないんだけど、その後批准されていく『国際人権規約』には「いわゆるソフトロー」が存在するとした意見や、すでに国際習慣法になっているといった意見もあり・・取り扱い方については各国ごとに違いがあり判然としないそうです。

人権の実態

世界人権宣言国際人権規約で、どれだけ声高に人の権利の保障・平等の精神・そして反差別を訴えたところで、世界には歴然と国家間の格差が存在していて、そこで尊重される人の権利等についても守られる範囲が違っていますね。

さらに言えば、特定国家内でさえ貧富の格差・権力の高低を考慮すれば、虚しく訴えかけられる自由平等がいかに幻想で塗り固められたお題目であるかは・・今更指摘するまでも無いでしょう。

国民保護力=軍事力・経済力

世界は残念ながら不平等です。

一般的に大国とされるアメリカ国民や日本国民の持つパスポートの信用性や市民権は、世界のどの国家と比べても引けを取るものではないでしょう。

「それは差別でしょうか?」

「人権に反しているのでしょうか?」

いいえ・・それは前の世代から引き継いだその国ごとの財産であり、現役世代の努力の結晶なのです。

各国民ごとに守られる人権の裏付けは大局的に煮詰めていけば、国家の軍事力や経済力の高低に行きつきます。

独立間もない国家の国際的信頼性や同国民の権利の保障などは、残念ながら今後の当該国家の努力・貢献・蓄積によって徐々に高めていかねばならない案件でしょう。

個々の人権もまた同じ・・

国力によって信任されるブランド力が違うように、残念ながら各国家によって守られる人権の範囲は違っています。

現代社会、それもとりわけ自由主義社会においては世界中の国民をなるべく平等に待遇しようと努力していますね。

個々のもつ主観・主張・宗教(主義)は最大限に守ってあげたい・・しかしそれらを保障しようと努める、国家全体で取り決めた”法””秩序””伝統文化”を犯した(犯そうとする)者にまで「最大級の配慮」を要求されたとしたらたまったものではありません。

たとえば国際人権規約を盾に、法を犯した不法滞在者・犯罪者であっても弱者や少数派ならば「多数派は黙って見逃せ!」と声高にさけぶようなら、大多数のサイレントマジョリティー(一般国民)は意を決して立ち上がらざるを得なくなるでしょう。

国家全体で培った国力がやがてブランド・人権の裏付けとなる様に、個々人の場合でもまた遵法精神・日ごろの素行・社会への貢献度などで「守られる権利の範囲」は違ってくるはずです。

我が国日本では・・

日本には島国がゆえに日本独自の価値観と風土に合わせた”秩序”(法)が存在しています。

諸外国から覗けば、一見して閉鎖的な印象を持たれるような箇所も多分に存在しているのでしょうが、それはひとえに日本の持つ独自性の維持、世界から見れば多様性の一表現に特化したものにすぎません。差別や排除の理論で塗り固めているのではなく、島国が故の伝統・価値が”異なるもの”への警戒心が逞しくなっているだけなのです。

日本はそれを繰り返し歴史を紡いできました。

『多様性を認めあう』とは・・本来はその国や地域ごとに特化した民族・風習・習慣・価値観などを認め合ってこそ成り立つ理想論のはずです。

『人権尊重』もまた然り・・主義主張の異なった者が「大多数の暮らす地域にお邪魔した場合」は、その地域の独自性・固有性に最大限の配慮がなされる場合においてはじめて尊重されていく事でしょう。

言及するまでもなく、世界各国と同じように日本社会で日本基準の人権を手にできるのは大局的には”日本人”のみです。

それは個々の日本人が海外にお邪魔した際にも同じことが言えます。

訪問者が当該国民に次ぐ待遇をもらえたなら感謝をもって答えるのがマナー(常識)

訪問者が当該国民と同じや、当該国民以上の待遇を要求すれば・・日本に限らず、どこでだって摩擦、あるいは排除の理論で跳ね返されることでしょう。

同じ理屈で、考えを異にする者が大多数の者の前で、彼らと同じかそれ以上の待遇を要求すれば、どこでだって摩擦、あるいは排除の理論で跳ね返されてしまうのではないでしょうか。

各国は今・・行き過ぎた人権への配慮・反差別によって疲弊しきっています

絵に描いた餅に縛られる自由主義陣営・・細く笑う共産主義者

世界では今、『世界人権宣言』に謳われる精神を尊重しようと努めた国々程、皮肉にも国家国民が大混乱しているように見受けられます。

  • 同性婚要求運動:同性婚容認・2021年世界約30カ国が法制化
  • 2019年・教皇「日本は難民や在留資格ない外国人に厳しすぎる、もっと難民受け入れを(要約)」
  • Black Lives Matter(BLM)運動・LGBT運動の活発化
  • ある国では伝統的なアナウンス「~レディース&ジェントルマン~」は禁止・廃止
  • 2019年経済産業省のトランスジェンダー職員が勤務先女性用トイレを利用することを制限されたり、上司によって精神的苦痛を口頭で受けたとして起こした裁判では、原告の訴えが認められ132万円の支払い命令が下る。
  • 米最高裁2020年12月7日(公教育の現場で)「トランスジェンダー生徒が、自分の使用したいトイレを使用する権利を認める」を支持(米:タイトル・ナインで検索)
  • トランスジェンダー選手(女性競技側)の各種競技への参加の是非

このように一部の権利を最大限の幅で認めようとすると、今まで通りの従前とした価値観を共有したいと願う大多数の側には、急激な社会変化に伴う”混乱”と同時に(少数派が主張するところの)”理解”が当たり前のように求められてしまい・・結果、権利を主張する側・秩序を維持したい側との間の”新たなる衝突”が社会問題化している面も考慮に入れておかねばならないでしょう。

利用される少数意見

それ差別です・それ人権侵害です・それヘイトです

不謹慎な事に・・近年少数派から叫ばれる自由や権利への欲求の声は、ともすれば社会混乱や特定団体へ利権誘導を目論む勢力の”隠れ蓑”に利用される危険性をも孕んでおり、彼らの意見を懐疑的に受け取ったり、反対を寄せる大多数の意見へのカウンター・口封じに利用されている側面にも注意が必要となっていますね!

「○○を認めない世の中は差別的だ!」(多様性を叫びながら多様性を無視)

「○○を知らないなんて人権を無視した精神の表れ!」(レッテル)

「○○の啓発のために予算を!法改正を!」(利権化)

「○○に異を唱える事はそもそもヘイト!法によって取り締まれ!」(言論弾圧)

「○○を認めようとするうねりは何よりも優先されなければならない!」(多少の法律破りは大目に見ろ)

「○○が認められない国家は解体してしまえ!」(国家破壊活動)

時間をかけて構築されたはずの各国の伝統や秩序、それが前提で享受される社会生活上の利便性を無視してまで推し進められる運動なら・・大多数の側から反発を招くのは必至なのではないでしょうか?

雑談

嫡男:スラ
嫡男:スラ

今後は性別で区別するすべての事柄が差別認定を受けるかもしれないね~

社会的ストレス半端なさそう・・

悪いネズミ
悪いネズミ

それに・・日本で叫ばれる少数意見って、必ずと言っていいほど特定政党や特定国家とのつながりが指摘されていたりするよね!

過去には平和運動や障がい者界隈に多くかかわっていた勢力が、最近では女性権利やLGBT運動・移民難民問題に深く関与しているみたいで・・すごく怖い印象を受けちゃうのは気のせいなのかな~?

タヌキ
タヌキ
  • 平和運動
  • 護憲運動
  • 男女共同参画
  • 人権啓発
  • 移民難民保護

よくよく覗いてごらん♥

大体同じ勢力が熱心だったりするからさ!

妻

アメリカや欧州は大丈夫なのかしら・・

米大統領選挙の混乱に乗じてテロまがいの運動がなされてたり、イギリス議会では「自称するだけでジェンダー転換が認められたため、女性になった元男性の犯罪率が女性犯罪率全体を(80%以上)押し上げた」と報告されたんだってね・・

とっても不安。

嫡男:スラ
嫡男:スラ

あ、知ってる!

その報告(2021年5月)も反差別運動が怖くって、実態がわかっていても発表そのものが遅れてしまったやつだよね(怒)

反差別が事実の指摘すら許さなくなってしまった典型例だね。

タヌキ
タヌキ

皮肉な事だけど各国の混乱の度合いは、前出の世界人権宣言『国際人権規約』の精神を尊重しようと努めた国家程、顕著になっているんだよな~

例えば欧州連合内では世界人権宣言を根拠にした「人権と基本的自由の保護のための条約」は、各国の憲法より上位の拘束力が認められていると解釈されていて、結果それに手足を縛られた各国の一般市民が自分たちの投票行動・民主的手続きによらない条約によって弾圧されてしまう「逆差別」「行き過ぎたカウンター」にさらされ、苦しめられているのです。

日本ももしかしたら・・他人事では済まないところまで来ているのではないでしょうか?(ゴクリ)

まとめ

人権や少数意見を叫ぶ者ほど、

人権や少数意見を保障する最後の砦が”国家”であることを失念せぬように・・

人権や少数意見を振りかざし、他者の思想・言論の自由を弾圧せぬように・・

「人権を守るために」「少数意見を守るために」と、美辞麗句を述べながら片方の手に武器を持つ事を肯定せぬように・・

考えを異にする者を指さし”悪魔”・”差別主義者”と罵らぬように・・

多数派の意見についても最大限尊重するようにと、ただ祈るばかりです。

『人権』という便利過ぎるうわべの言葉に、物事の本質が覆い隠されるようなことがあってはならないはずです。

国家の安定・国民の安定が補填されはじめて配慮されるのが人権であり少数意見です。

事実の指摘や多数派からの反発は意見のすり合わせ過程で発生する”当然の化学反応”のはずです。

そこの努力が面倒だからと、宣言や条約上の美辞麗句を持ち出し多数派への言論弾圧を企てたり、テロリズムに走るようなら・・必ず大きなしっぺ返しが予想されることでしょう。

人権や少数意見にも配慮できる世界は、本当に素晴らしい世界になるのかもしれません。

しかし、世界各国で展開される人権や少数派運動の影には・・他国、とりわけ共産国家の介入が囁かれています。

大多数の意見が尊重される世界が民主主義・・忘れないように

「人権」「平等」「平和」「反戦」「反核」・・

誰もが正面から否定しにくい取り組みであればあるほど、われわれはそれらの掛け声が国家侵略・国家解体・利権誘導・党利党略を目論む勢力の野望を覆い隠す「看板」にされてはいないか・・冷静に見定める必要があるのではないでしょうか?

おしまい。