写真説明:カチカチ山指定文化財「タヌ被告:その罪状(つまみ食い)に覚えがありませんの図」
【日本の歴史】令和の御代、先人方の弛まぬ努力の結果『平和』を享受していられる私たちだからこそ知っておきたい日本の国柄・大転換点。
本項ではタヌキが独断で選んだ日本史上の三大転換点を「流しそうめんの様に」解説していきます。
今回は歴史的断層面:③の4『大東亜戦争敗戦~現在』の「東京裁判」です。
注:歴史講座ではありません。専門的に調べたい方はそれぞれに特化した環境にてどうぞ。
お約束の『三行まとめ』・・最後に置いておくね♡
お忙しい方はそこだけ覗いて見てね
お忙しい方のために太文字を流し読みできるようにしています。
最後の方の『ベルト・レーリンク』さんの回顧録も見ていってね!
大東亜戦争の戦後処理:東京裁判とは何だったのか?
1945年8月15日昭和天皇の『終戦の詔勅』によって、日本は内外に戦争の終結を宣言しました。
実際の調印式は『米戦艦ミズーリ艦上』同年9月2日に行われました。
長く戦った両国・・戦後処理は混乱なく上手く行ったの?
戦後は女性たちの戦いでした。(興味のある方はこっそり調べてみて。色々出てくるよ)
男達の争いの尻拭いを率先して引き受けてくださった勇気ある女性の皆さま・・
~男たち以上に祖国防衛に努めてくださり・・ありがとうございます~
『東京裁判』という茶番劇
『東京裁判』(正式名称:極東国際軍事裁判)を一言で例えるとするなら・・
『当時、存在しない法をもって裁いた公開リンチ』
・・とでも捉えておけばまず間違いはないです。
そう思えるほど、この裁判も判決もおかしなものでした。
以下にその根拠を紹介してみます。
興味がわきましたらみなさんも人生の少しの暇を、この『東京裁判』を振り返る時間にあててみてください。
『東京裁判』の不思議①:A・B・C級戦犯
勘違いしている方も多いかと思うのでA・B・C戦犯の意味をここでおさらいしておきましょう。
①『A級戦犯』その意味⏎
「平和に対する罪」・・何の平和かよ!ってツッコミはさておき日本を裁くために急遽名付けられた人類初耳の罪状の事。処刑者7人。
日本を護るため最後の人柱(連合国側に捧げる生贄)役を引き受けてくださった皆様(敬称略)
松井石根・木村兵太郎・土肥原賢二・東条英機・広田弘毅・板垣征四郎・武藤章
なお、リンチ裁判でもその根拠とするはずだった「侵略戦争の共同謀議」はついに証明されなかった。ぷぷ
②『B級戦犯』その意味⏎
捕虜虐待などの「通例の戦争犯罪」を命令した司令官など。・・ま、これは納得。ちなみにBC級の処刑者約1000人!
注:その罪のほとんどは誤解や偏見に基づくものだった。
③『C級戦犯』その意味⏎
「通例の戦争犯罪」を上官の命令などにより実行した者。
タヌさん!
A級を裁いた「平和に対する罪」って具体的にどう定義すればいいの?
定義してどうすんの?
誰にでも解釈できる条文にしたら自分たちも裁かれるだろ?!
そんな危なっかしい決まり作るわけないじゃん(笑)
言いがかりだよ、言いがかり!!
『東京裁判』の不思議②:遡及法(そきゅうほう)
『遡及法』意味:「法はその施行時よりも前にさかのぼって適用することはできない(法の不遡及)」とする一般的な法体系を無視した法適用がなされる事。
前出「平和に対する罪」など・・東京裁判はこの法体系を無視した『遡及法』が適用されている。
『東京裁判』の不思議③:判事の多くが戦勝国側で編成される
事実の追求を世界に公言したいのなら、第三国に裁判を任せるか、戦勝者側・敗戦者側それぞれに同じ数の判事を出せばよいはず。
なにかやましい事でもあったのだろうか?・・
『東京裁判』の不思議④:一審制
敵国だったとはいえ、仮にも国家の代表者の責任を追及しようとしたわけだから、より客観的な証拠を数多くそろえたり、時間をかけ、多角的な視点から公平な裁判運営を心掛ける努力義務が生じるはずですね。
人類史上初めて戦勝国側が敗戦国の戦争責任を「個人単位にまで及び断罪」しようと画策したのがこの『東京裁判』。時が経ちあらぬ反撃を避けるためにも戦勝国側はより慎重に裁判を運営するべきだったように思えてなりません。
~自信があるんでしょ♡自分たちの行いのすべてに。堂々としていればよろしい~
『東京裁判』の不思議⑤:弁護側の管轄権忌避動議
詳しくは『東京裁判』⏎WIKI
裁判長ウェッブ「未来のいつかどこかで理由を教えてあげるよ!」「とにかくいろんな管轄権は裁判所側にある!」←まじでこんなこと言ってます。
『裁判長』意味:裁判の合議審の長となって審理を行うもの。
『東京裁判』の不思議⑥:判事の中で国際法学者はパル判事のみ
『東京裁判』において、国際的な資格を有したと考えられる人物がパル判事ただ一人なのはどのような理由からなのだろうか?
その他の判事は「復讐・私念」にまみれていたり、素人同然だった・・考えすぎか・・
注:ちなみに唯一の国際法学者パル判事は日本の無罪を主張している。
『東京裁判』の不思議⑦:日本に有利な証言や証拠が採用されない・却下される
日本に有利な弁論や証拠が公判中に出てくると「通訳は同時通訳をやめ」・「テレビ中継は中断する」という・・今では到底信じがたい行為が平然と執り行われていました。
裁判に証拠として採用される資料のほとんどは連合国側のものばかり・・
注:ファンタジー映画「南京大運動会」も、その捏造を証明する多くの証拠がこの『東京裁判』において却下されてしまい、結果今日まで喧伝されてくることになりました。
『東京裁判』の不思議⑧:で、そろそろあなた方が犯した罪を裁いてください
我が国日本でも戦争の混乱期ですもの、しらみつぶしに探せば「戦時犯罪」の1つや2つくらいなら見つかるかもしれません。
でもそこは当時世界中の人々が注目し、真相を知りたいと願った「公平な裁判」が執り行われたはずの神聖なる『東京裁判』・・ですよね。
ということで戦後70年以上も経ってしまいましたが・・舞台は整いました。
『東京裁判』のつづき・・そろそろ始めましょうか・・今度はあなた方の順番ですよ♡
「本裁判はあくまでも戦時日本を裁くために開かれた裁判である」
・・もしも誰かがそうおっしゃるのならいつまでも待ちましょう。
あなた方がご用意した「同じ天秤」で結構です・・さあ、お乗りください。
あなた方が犯した『罪』が乗った・・もう片方へと・・
天秤がつり合うことをお祈りしております。
番外:日本人なら知っておこう「パル判事の言葉」
『ラダ・ビノード・パール』ベンガル語で『ラダビノド・パル』(⏎WIKI)
イギリス領インド帝国ベンガル州生まれ。インドの法学者・裁判官
『東京裁判』において全員一致の日本有罪を目指す動きの中で、事後法による裁き方は国際法に反するという明確なる理由をもって「日本の無罪を主張した」判事である。
その彼が、日本の無罪が証明されることを信じ・・またその希望を未来・・つまり私たちに託した・・次の様な言葉を残しています。
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また、理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう。」
WIKI
偏見に満ちた世界から送られた・・透き通った一筋の光明。
戦後を未だ終わらせていない、私たちすべての日本人に向けられた「課題」とも言えます。
先人方の名誉を回復し、真の自由と平和とつかみ取る、そんな力強い姿を・・私たちの背中を見つめる「子供たちの世に」残してあげませんか?
~たとえ先の大戦に散った英霊各位の勇気の先ほどの足取りであったとしても~
『東京裁判』後に処刑される木村兵太郎は、このパル判事の言葉にふれて次のような「歌」を詠んでいます。
「闇の夜を 照らすひかりの ふみ仰ぎ こころ安けく 逝くぞうれ志き」
注:「ふみ」はパル判事の言葉
WIKI
・・英霊各位のご冥福をお祈りしております。
まとめ
MR.タヌキの『今北三行』まとめ
①1945年8月15日日本国民「天皇陛下の詔・・潔く矛を収めねば・・」⇒『終戦の詔勅』・『武装解除』
②戦勝国「よっしゃ~~日本ボコったで♡」「ヒャッハー世界をプレゼントだ~」⇒『あんな事』『こんな事』『東京裁判・公開リンチ』
③世界の人々「日本ってすげ~悪の国家だったんだ!」「で、原爆投下の罪はいつ頃裁くの?」⇒『戦後もうすぐ80年』『世界の警察アメリカ合衆国バンザイ』
後記
*東京裁判の裁判長・オーストラリアの裁判官『ウィリアム・ウェッブ』・・
熱狂的反日主義者で知られ、天皇の訴追に終始こだわる。日本側に有利な証言が出始めると「動議を却下する、理由は将来明らかにする」を連発。注:当時のオーストラリアは有色人種に対し迫害政策を行っていた。
*東京裁判判事・中華民国(国民党代表)『梅汝璈』・・
熱狂的反日主義者・天皇の訴追に終始こだわり「政治的理由で起訴を免れたが、再び提訴される日が来る(要約)」と述べている。後に共産党のスパイとして国民党を追放される。文化大革命時に失脚。注:法曹経験は皆無
*東京裁判判事・オランダの法学者『ベルト・レーリンク』・・
戦勝国側の代弁者だったが『パル判事の言葉』に触れ「公平さ」がいかに大切か考えさせられるようになった。後日の回顧録として彼はこのような言葉を残している。
多数派の判事の判決の要旨を見るにつけ、私はそこに自分の名を連ねることに嫌悪の念を抱くようになった。これは極秘の話ですが、この判決はどんな人にも想像できないくらい酷い内容です。
WIKI
我々は日本にいる間、東京や横浜をはじめとする都市に対する爆撃によって、市民を大量に焼殺したことが、念頭から離れなかった。我々は戦争法規を擁護する為に裁判をしている筈だったのに、連合国が戦争法規を徹底的に踏みにじった事を、毎日見せつけられていたのだから、それは酷いものだった。勿論、勝者と敗者を一緒に裁く事は不可能だった。東条英機が「東京裁判は勝者による復警劇だ」と言ったのは、まさに正しかった。
WIKI
後日彼は「日本がなぜ戦争を回避できなかったのか」についても、思慮深い考察とそれを見つめる慧眼を残しています。
*東京裁判判事のフィリピン『ハラニーリャ』について、前記『ベルト・レーリンク』曰く・・
「フィリピン社会を取り仕切るアメリカに協力してきた人物で、アジア的なところは何もなく日本に敵意を持っていた」・・と述べています。
ここに記述されていることは本当の事なのか?
どのような資料に触れるのが正しいのか?
それはここにお越しいただいたみなさんが決めていくことです。
なるべく多角的に資料を掘り起こし、納得いくまで調べてみましょう!
私たちのご先祖さま方が、どのような思いで先の大戦を戦い抜いたのかを知るためにも・・
~私たちは先人方が託した未来~
~私たちの存在こそが希望の光~
冤罪の海原を真実の光で晴らしてあげられるのは、『希望』を託された唯一私たちだけなのではないでしょうか。
タヌキ一家は頑張りますよ!
家族全員一致でね♡
一緒に頑張りましょうね♡