画像説明:【黙祷】一連の戦闘で失われたすべての魂に手向けの花を。
(当時:森会長の言葉)「現実は厳しいけれど、世界の平和と繁栄を諦めたくない」
些細な揚げ足取りの末、不当に責任追及された森元会長の語った精神。
当サイトも大いなる賛同を寄せています。
風船と空爆と・・
イスラエル軍がガザ空爆
【エルサレム=共同】イスラエル軍は25日、パレスチナ自治区ガザを空爆したと発表した。ガザを実効支配するイスラム組織ハマスの関連施設を標的にした。ガザから発火物付き風船がイスラエル領内に飛ばされたことへの報復としている。死傷者は伝えられていない。
イスラエル軍とハマスは5月、11日間にわたり戦闘を継続。ガザではイスラエル軍による空爆で計254人が死亡した。その後、ハマス系組織がイスラエル領内に発火物付き風船を飛ばし、イスラエル軍が報復空爆する事態が繰り返されている。いずれも死傷者は出ていない。
ガザでは復興に向けた動きが進むが、イスラエルがガザ境界を封鎖しており、必要な物資が十分に搬入できない状況が続いている。風船による攻撃は、封鎖への反発とみられる。(以下略)
日本経済新聞(2021/7/26配信記事)
互いに伝えられる地域史や、引き継がれた怨念・憎悪については、それぞれに正当な言い分がおありなのでしょう。
しかし少しでも歴史を振り返る力があるのなら、過去の英国外交の矛盾や、国際社会の不自然なほどの一方勢力への加担が(紛争の)引き金となっている点に、案外容易に辿り着くはずです。
ですから、今更ゴタゴタとイスラエルにまつわる中東の歴史を振り返ったところで、もはや不毛と感じられてしまいますのでここでは詳しく言及しません。
でも・・
ちょっと報復が正当化され過ぎてはいませんかね~?
それに、今は世界が平和への祈りを込めて「東京オリンピック」を開催しているんですけど・・
知ってます?
イスラエルさん。
マッチでさえ、ライターでさえ、意味の上では「発火物」・・
「国際社会」など実は幻想:あるのは弱肉強食
当サイトは、国家としてのイスラエルを責める立場でもなければ、パレスチナに同情心のみをもって憐れみを向ける立場でもありません。
ただ一歴史好きが過去の人類史を物差しに、(同地域の紛争に対し)客観的に申し置くとするならば・・
『軍事力を持たない側(国家)は、必ず滅ぼされる』
ただ一つの真理に向かって歴史は帰結する、という一点です。
正当性や感情論、善悪論や他国の思惑・・悲喜こもごもの混沌をどれだけ取り繕っても、結局は強い方が生き残るのです。
ですからいたずらにパレスチナ(ガザやヨルダン川西岸域)に同情的にもなれませんし、イスラエルを責める気持ちにもなれません。
もちろん、それぞれの言い分を聞き比べればどちらの言い分が正しそうかなんて笑っちゃうくらいはっきりしています。
しかしそれでも、
イスラエルはパレスチナ(ガザ)に比して強国で、 パレスチナ(ガザ) は イスラエル に比して弱き地域という現実を無視するかのように、他国がいたずらに”介入”する事には反対の意見を持っています。
そう考える最大の理由は・・
両地域が互いに認め合う”妥協点”を探り当てる事など、実質
『不可能』
であることを(世界中の誰しもが)知っているからにほかなりません。
いろんな組織での力関係を想像してみてください
人が複数集まって組織をつくる時、必ず何らかの序列をもって社会性が構築されますね。
例えば会社組織なら社長やCEOを中心に社の方針が取り決められ、重役以下社員一同はその目指す方向にそれぞれが機能的に配置され、ものやサービスが生み出されて行きます。
少し残酷ですが、子供社会においてさえ基本は変わりません。
腕力や性格・勉学や一芸に秀でた存在は往々にして他の児童生徒を黙らせる側に回りやすく、どれだけ現場を預かる教職員らが便宜上の仲裁に乗り出そうとも、子供社会が暗黙の内につくり出した序列(ヒエラルキー)は劇的には変わることが無いのです。
ルール(約束)の必要性
会社組織にしろ子供社会にしろ、強者の理論のみが認められれば恐怖が支配し社会秩序が保てなくなるばかりか、肝心の生産性向上や勉学の意義そのものに悪影響を及ぼしかねません。
ですから社会(組織)は、奴隷的序列関係や権力の乱用・暴走が起こらぬよう監視するために、あるいは各自に割り振られた職務や責任をさぼって利益のみを搾取しようとする不正行為を防止する為に、取り決め(ルール)設定の必要性を訴えるようになっていくのです。
各種法律・社則・学校則・夫婦間、お友だちや恋人同士の約束などなど・・
ありとあらゆる分野において、
法律違反等による強い罰則があるルールから、ただの口約束程度のルールまで、
『ルール(約束)』が存在しない分野を見つけ出すことが困難なほど、私たちの周りにはぐるりと様々なルールが氾濫していますよね。
ルールの存在は「文明・社会の成熟度を証明している」って言い換える事も出来そうだよね。
徹底されぬルール厳守
しかし!
どのような理想論を掲げても・どのような崇高な理念によって編み出された取り決め(ルール)があったとしても・・
それらがしっかりと守られなければ意味がありません。
ですから社会(組織)はルールづくりと同時に、ルールを互いに守らせる為の、あるいは守らなかった場合の罰(ペナルティー)を準備し、固く約定を誓いあったり条文化するのです。
国家間の条約・協定、停戦などの合意は言うに及ばず、会社・学校・地域や各個人の間で出来上がったルールに至るまで、その責任の重さと期待される秩序の重要性に比例して『 罰(ペナルティー) 』は監視強化されるべきだと、多くの国や地域でみなされています。
国家間の紛争解決は・・どこが仲裁にあたるのでしょうか?
- 国家間条約・協定違反=締結国家間において断交・制裁、国際裁判所仲裁
- 各種法律違反=法の定める範囲において国家が罰則(懲役等)を科す
- 社則・校則違反=各社・各学校組織において処分
- 夫婦間の背信=離婚や別居など
- 友人同士のいざこざ=絶交・疎遠・ブッチ
このように、何とかして『ルール(約束)』を守らせようと懸命に『 罰(ペナルティー) 』を取り決め努力したとしても、残念な事ですが現実社会においては ルール(約束)は簡単に破られているのが実情のようですね。
確かに ルール(約束)はあきれ返るほど守られていないよね~
- 日本と南朝鮮の基本条規は反故状態だし
- 法律違反が無ければそもそも刑務所はスッカスカだろうし
- ブラック企業問題やいじめ問題は存在していないはずだし
- 離婚率だって上昇していないはずだよね~
ホントだ~
ルールは見かけるけど、社会を少しでも眺めてみると「守られていない事」の方が圧倒的に多いよね~(棒)
だろ?
みんなが平気で反故にするフワッとした約束なんぞに「国家・地域の命運」が託されていたとして・・どこのどなたが公平なるジャッジメント(仲裁)を為してくれるというのかね~
残念だけれども今のシステムのままでは、そもそも(仲裁)無理だと思わないか?
ちなみに国連はどうなの?
一応建前では世界中の紛争や戦争を防止しようと努力している組織なんじゃなかったっけ?
国連なんて差別組織の代名詞だぜ!
そもそもの正式名称が国際連合といって、1946年まで存在した国際連盟と、戦時中の連合国を母体とした組織なんだから・・未だに日本が敵国条項に縛られているままなんだぜ!お笑いだろ?
それに常任理事国なんぞが存在するもんだから、な~んにも取り決められない組織と化しているのさ。
国連に夢を抱くなんて、絵に描いた餅を本当に焼こうとするくらい不毛な事なのさ。
中東は言うに及ばず・・
ソマリア・シリア・スーダン・イラク(ISIS)・クリミア・チベット・ウイグル・内モンゴル・香港・台湾・竹島・北方領土・・そして尖閣・・
『力ある国家が正義を証明(ゴリ押し)する』
現実の社会ではただただこれのみが跋扈し、力なき者達は負け惜しみの地団駄の内に国際社会の裏のルールを思い知らされるだけなのです。
「力こそ正義!」って言いながら香港を掠め取った連中が隣国に存在しています。(要警戒)
日本人もうかうかしてられないからね!
IOCはイスラエル選手団の五輪参加を・・問題視しないの?
例え開催国と言えども、我が国が独自の方針に基づいて一国に制裁を課すわけにはいきません。
五輪憲章
オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
オリンピズムの根本原則2
五輪はそもそもその基本精神において『平和の祭典』が謳われ、なかでも「オリンピック休戦」は国連の決議を経て五輪開催期間中の紛争・戦争状態の”休戦”を世界に呼びかける理念です。
ですから7月25日に敢行されてしまったイスラエル空軍によるガザ地区に対する空爆は、五輪憲章の面からも許されざる行為で、例えそれが”風船” や”投石”による国家存亡の危機(ワロス)であったとしても、先ずは国際社会に敵側(ガザ)の行為を知らしめるべきで、報復手段や報復時期についても事前報告・事前通知は最低限なされるべきだと思われます。
国連が機能不全に陥っている事はもはや世界での共通認識になりつつありますが、五輪(IOC)はそもそもその範疇に無く、仮にIOCによる決断がイスラエル選手団を出禁(出場停止)にしたとしても、(国連とは別の方向から)今後の紛争抑止効果が期待できる「良き前例」として、その英断は国際社会に受け継がれていくのではないかと思うのです。
開催国家の名称をどこぞの山賊国家と勘違いする腑抜けた(BTぼったくり会長)が組織するIOCだけに、ここで提言する”決断”がなされる事など期待薄ですが、少なくともイスラエルの軍事行動については国際社会が足並みを揃えて「問題視」しなければならない案件だと思うのです。
4年に一度、それもオリ・パラ合わせてもたったの約4週間が我慢できぬ”言い訳”くらい、詰問しておきたですよね~。
「お前、それ、今はやりのジェノサイドじゃね?」ってね。
まとめ
戦闘国家として知られる古代スパルタでさえ、カルネイア祭(カルネウス・アポロン神)の期間中は一切の軍事行動が禁止されていたそうです。
恥知らずにも現代では五輪開催期間であろうがなかろうが、停戦や休戦の約定が簡単に反故とされ、世界各地で不毛な紛争や戦争が繰り返されています。
近代五輪はオリンポスの神々の手から離れ、政商と(IOC貴族)利権の温床と化したと比喩されて久しく、また国連やその他の国際機関も、ただうわべだけの看板が独り歩きする中身の無い組織運営の実態が暴露されるようになりました。(シナを巡るWHOの不手際はその典型例)
- 世界中で語られる理想・・
- 世界中で取り決められるルール(約束)・・
そのことごとくを反故にしてなお裁かれぬ世であるならば、今後国際社会が如何なるルール(約束)をつくり出したとしても、それらは皆「風の前の塵」として人々に捨て置かれてしまう事でしょう。
ケンカの基本的仲裁方法が”両成敗”であるならば、「平和の祭典」の精神を踏みにじった両者ともを、東京五輪から排除すればいいのです。
残念ながらガザからの選手名を世界は知る由もありません。
ならばこそ、現在出場しているイスラエル選手団の出場の是非をIOCがその職責と、もてる権限において”決断”(問題視)しなければならないのではないでしょうか?
今後の人類の平和を祈り続けるためにも・・
おしまい。
五輪憲章とイスラエルの軍事行動との”矛盾点”を問い糺すことが目的です。
イスラエルの各選手には何の罪もありません。