【残りの2機はカジノで豪遊中】ポツンとたたずむドムの図
【日本の歴史】令和の御代、先人方の弛まぬ努力の結果『平和』を享受していられる私たちだからこそ知っておきたい日本の国柄・大転換点。
本項ではタヌキが独断で選んだ日本史上の三大転換点を「流しそうめんの様に」解説していきます。
今回は歴史的断層面:③の3『大東亜戦争敗戦~現在』の『ポツダム宣言』です。
注:歴史講座ではありません。専門的に調べたい方はそれぞれに特化した環境にてね!
本項ではこんなことが書かれてあるよ!
ポツダム宣言
- ポツダムとは?
- ポツダム宣言は『有条件降伏』
- あっち側の言論空間へ向けた当然の反論
タヌキのざっくり『ポツダム宣言』要約
- 7月26日『ポツダム宣言』その後の推移
まとめ
お約束の『三行まとめ』・・最後に置いておくね♡
お忙しい方はそこだけ覗いて見てね
ポツダム宣言
次項以降で取り上げる『GHQ』の占領政策を紹介する前に、その前提となる『ポツダム宣言』(リンクWIKI⏎)について最低限の知識を持ってもらいたいとの思いから、ここに紹介しておきます。
ポツダム宣言とは?
1945年7月17日から8月2日にかけてドイツ・ベルリン郊外『ポツダム』で開かれた『米・英・ソ』会談の内容を基に発表された『宣言』の事。
宣言は7月26日(東京時間7月27日午前5時ごろ一報がもたらされる)
宣言自体は『米・英・中民(中華民国)』の共同声明として出されたもので(ソ連は署名していない)、宣言文の大半はアメリカが作成している。
日本に対する「戦争終結条件の提案」です。
この条件をのめば降伏させてやってもいいよっていう「オファー」の事だね
ポツダム宣言は『有条件降伏』提案です
日本人の多くの方が壮絶な誤解をもって『ポツダム宣言』を捉えている点がここだと思われます。
「日本は連合国に対し無条件降伏したんだ!」ってところですね。
日本は無条件降伏なんかしていないよ!
誤解しないでね、みんな。
そもそも2000年以上続く国家に、『無条件降伏』を思いつく国際社会があると思う?たかが一回の敗戦でいちいち無条件なんて言ってたんじゃ、山賊が世界中を蹂躙する「ヒャッハー世界」が誕生するじゃん!♡・・してるけど
無条件降伏は「軍隊の降伏の事」。
13条にわたる宣言内容の13番目に「日本軍の無条件降伏(武装解除)を要求し、日本政府にその確実なる履行を求める(注:要約)」とある内容が戦後~あっち側~の言論空間で拡大解釈され、あまり詳しくない人々や子供たちの教育現場で拡散され、今日の『誤解』を生んでしまったのだろうと思います。
日本側は・・
①『天皇の存続』
②『国体を決める権利は日本にある』
という、この二点の確認がなされたからこそ『ポツダム宣言』を受け入れました。
あっち側の言論空間へ向けた当然の反論
みなさんへの素朴な質問
もしも我が国の上空をかすめてミサイルをぶっ放す「頭のおかしな国家」が近くに存在していたとして・・
もしも我が国国民を拉致して連れ去るような「頭の沸いた国家」が近くに存在していたとして・・
それらへの報復内容が政府より発表された場合・・みなさんは以下の「プレゼント内容」に賛同なさいますか?
- 軍事基地ではない都市部への無差別空爆
- 首都への100回を超える空爆・機銃射撃
- 二種類の原爆投下
- 一切の異論を認めない『無条件降伏』提示
- 占領後の敵国民への蹂躙行為
- 占領下での(当該国民の決定によらない)憲法の変更
これらに「すべて」賛同したい(すべき)と思っている方のみ、日本が『無条件降伏』したんだ!っと叫んでもよい権利を有しています。
この内容に少しでも躊躇したり、「文明国の国民として恥ずかしすぎる」「敵国とはいえそこまでやる必要はない!」と思った方は、ポツダム宣言によって日本が『無条件降伏』したなどと口が裂けても言ったり考えたりしてはなりません♡
だって・・そんな野蛮なこと思いもつかないのが日本人ですものね!
逆に、当時「米英ロは無条件降伏を提案したし、それを飲んだのが日本だ!」と言ってのけている人は・・
↑上記の「プレゼント内容」が当たり前に行われたことを証明する側になってるって事ですけど・・自覚あります?
みなさんもお暇な時で構いません。多くのサイトなどに出かけてこの『ポツダム宣言』について調べ、そこで紹介された内容などを見比べてみてください。
あっち側とこっち側が分かりやすいくらい色分けされていますから♡
それにしても・・いくら何十年も前の事だからって、さすがにこの「プレゼント内容」はひどいでしょ?これが当たり前だと思っている人がいたらすごい精神の持ち主だね。
それか・・「日本のみ」めちゃくちゃにしていい!っと思っている人たちだって事だね♡
たぶん半島辺りの「頭のおかしな国家」に・・
もしも日本側が何らかの報復手段を具体化させようとしただけで「平和を乱す軍国主義国家・・日本はけしからん!」って、火がついたように発狂する特殊な人たちのかもしれないね!(ブッチ)
タヌキのざっくり『ポツダム宣言』要約
注:『ポツダム宣言』について、正確で詳しい解説に触れたいと思っている方は原典を調べるか、信用のおける資料にておねがいします。これはあくまでも適当要約です。
『ポツダム宣言』
①米英中(中華民国)は日本に対し降伏する機会をあたえるで~
②日本を殲滅する軍隊は整ってるし、世界中は我々の味方だ~
③この軍隊はドイツをフルボッコにしたように日本にも同じことが出来る軍隊やで~
④日本が軍国主義を突き進むか降伏するかどっちかを選べ~
⑤この『ポツダム宣言』は1ミリも動かない。執行の遅れも認めないよ~
⑥日本の軍国主義をぶっ潰さなければ、世界には真の平和も安全も正義も到来しないぜ~
⑦俺たちが平和だと認めるまでは日本は占領されとけ~
⑧『カイロ宣言』も履行されるべきだし、日本の領土も俺たちが決めた範囲にするから~
⑨日本軍(人)は武装解除したら家に帰って生活してもええで~
⑩日本人を奴隷化しようとは思わんが、戦争犯罪人は裁くし、民主主義の強化に反対する勢力は排除するから!あと、宗教とか言論は守られなあかんと思うで~
⑪軍関係以外でなら戦後賠償金を払うために復興してもいいし、あと国際貿易に参加してもええで~
⑫日本国民の自由意思によって平和国家を樹立しいろんな約束守ったら、占領軍は撤退するぜ~
⑬日本軍は無条件に武装解除せよ!あと日本政府はそれを保証しろよ。もしやんなかったら更なるフルボッコをくらわすゼ~:ヒャッハー
1945年7月26日『ポツダム宣言』はあくまでも提案です。その後条約を結ぶことによって「宣言(提案)」から「条約(約束)」にかわります。ということは当然ですが条約締結までに関係各国で様々な話し合いが行われ、宣言とは違った内容の条約が結ばれることだってあるのが一般的です。(むしろこれが普通の外交)
【終戦までのざっくりイメージ】
交戦⇒休戦交渉⇒宣言(提案)⇒時間的猶予⇒宣言条件交渉⇒宣言受諾⇒休戦⇒講和交渉⇒講和条約締結⇒終戦完了
だから『カイロ宣言』も『ポツダム宣言』も「条約」以前の「宣言(提案)」ですから、数年後の『サンフランシスコ条約(約束)』締結によってそのすべては上書きされます。
あっちの人がよく『カイロ宣言』を持ち出しますが・・日本の国際社会復帰に何か気にくわない事でもあるのでしょうか・・「宣言」と「条約」の重みを単に理解できないのか・・面白い方々がいるものです、戦後日本にはたぬたぬ。
7月26日『ポツダム宣言』・・その後の推移
8月12日:日本・戦勝国側に受諾の意志を打電
8月14日:日本これを正式に受諾
8月15日:国民に終戦を告知『終戦の詔勅』
9月2日:『降伏文書調印』
1951年9月8日:日本『サンフランシスコ講和条約』に調印
1952年4月28日発効:祝!日本の主権が正式に回復する
日本国民にとっての一般的な終戦イメージは1945年の8月15日だけど、手続き上は9月2日に「休戦状態の確認」・1951年9月8日『サンフランシスコ講和条約』締結をもって戦争は正式に終結されています。お間違いのないようにネ♡
まとめ
MR.タヌキの『今北三行』まとめ
①米英ソ「日本の解体ショーの始まりや!ガンガン行くで~」⇒米英中1945年7月26日『ポツダム宣言』や~
②戦争末期の日本「国民の犠牲が増えるよ~あせあせ」「『天皇』と『主権』が守られることを確認」8月12日打電告知⇒8月14日『ポツダム宣言』受諾
③現在の日本国民「え!?ポツダム宣言は有条件降伏だったんだ~OK!」⇒『ポツダム宣言は有条件降伏提案』の事。無条件降伏論者は工作員か売国奴なのかもね!(クス)
1945年8月15日昭和天皇から賜った『終戦の詔勅』(国立公文書館デジタルアーカイブ⏎)の内容を、今を生きる多くの日本国民が理解した時・・私たちの先輩方がどれだけ真剣に我が国の国体(国の姿)を、~悪辣極まるような『輩』~から守り抜こうとしたのかがわかってくるでしょう。
当時の世界の常識では・・
~無抵抗は国家の放棄とみなされていた~
~独立は力で証明して見せねばならなかった~
みなさんもここだけは基本事項として押さえておいてくださいネ!