歌・読み・意味
『足引きの こなたかなたに 道はあれど 都へいざと いふ人ぞなき』
(あしびきの こなたかなたに みちはあれど みやこへいざと いふひとぞなき)
意味:山のあちこちに道はあるのだが、「都へ帰りましょう」と言って道を案内してくれる人は誰もいない・・
出典・作者
出典:新古今和歌集(雑歌「山」1690)
作者:菅贈太政大臣(菅原道真)
歌の背景
菅原道真公は宇多天皇の近臣として信認厚く、当時の『唐』(鮮卑人の国家)の混乱を理由に遣唐使の廃止を提案するなど、朝廷内においてもその存在感は揺るぎないものとなっていました。
しかし昌泰4年(901)右大臣に叙せられて間もなく、藤原時平の讒言により大宰府(現福岡県太宰府市)に左遷されてしまいます。
この歌は「都から大宰府への道すがら」に詠んだのか、大宰府に着いた後に「誰も都へ帰る助けをしてくれない」との気持ちを詠んだのかは、今となっては知る由もありませんが、道真公の都への思いと当時の孤独感が伝わってくるとともに、『冤罪』により貶められた世の中の不条理さ・無常さが「足引きの~山奥にも道はあるのに~都への道(冤罪が晴れる道)は何一つない」の中に読み込まれているようです。
左遷から2年後の延喜3年(903)、道真公は無実の罪を晴らすことなく失意のうちにその生涯を閉じることになりました(享年59)。
その後
菅原道真公については今さら説明するまでもなく多くの方がご存知だと思いますが・・一応念のために・・
道真公の死後、公家社会での変死(藤原菅根・時平・源光など)が続いたり、天変地異(特に落雷)被害が相次いだことから、人々は道真公の怨霊による祟りを口々に噂し始めます。
その結果官位は戻され、一条天皇の頃には神格化が進み、今日みなさんのよく知っている馴染みの『天神様(天満宮)』の御祭神としてお祀りされるようになりました。
総本社『太宰府天満宮』『北野天満宮』を筆頭に、『防府天満宮』とを合わせて三大天満宮となし、全国約12000社を数える天神様信仰は、今後もわれら日本国民の多くの手により守られ、後世に伝えられていくことでしょう。(リンクはそれぞれのホームページです)
注:『天満宮』は珍しく『太宰府天満宮・北野天満宮』の二社が本社格扱いとなっています。
雑談
タヌさん・・ひょっとして、三大怨霊でも有名なあの道真公だよね・・
まあな・・怨霊要素を高める、そのすべてをあわせ持ったのが道真公だもんな・・
怨霊になる要素なんかあるの?
①いい人物・いい事をやっていた
②身分が高かった
③冤罪(無実の罪)で失脚・命を落とす
ま、詳しい説明は別の機会にとっておくけど・・
色々当てはまりすぎているのが道真公なんだよなぁ~
じゃ~神様じゃなくって・・恐ろしい存在なんじゃないの?
そいつは逆だよ!
~その恐ろしいほどの力をもって皆人を守ろうとする側に回ってくれている~のだから、とてもご利益のある神様だと思うぞ!
世界中の神々を見比べても、大体の主神クラスは原始世界では「殺戮や破壊をもたらす神」だった場合がほとんどだから・・古今人々が感じ取る『力』はえてして「畏敬・畏怖」の内に見るものだよ。
みなさんのお近くにも必ず見つかります『天神さま♥』。
日本一有名な学問の神様です。
お子さんの学業成就や、資格・試験の合格祈願に・・あるいはたまの息抜きに縁起を担ぐ意味でも、
日々の健康と諸々の感謝を込めて・・お天気のいい日に「ご参拝」に出かけてみてはいかがでしょうか♥
何気ない日常の中にも『開運』・・
誰もが冤罪によって貶められる事の無い公平で公正な日本社会を、私たちの手で作り出していきましょう。
きっと『天神さま』も応援してくれているよ・・ネ