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コラム:かつての宣教師と現代グローバリズムの共通点

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われわれが目を開いたとき、われわれは・・

ケニア共和国初代大統領:ジョモ・ケニヤッタの言葉

1945年以降、大東亜戦争の全責任を大日本帝国に押し付けた手前、皮肉な事に欧米列強は、アジア・アフリカに数多く所有していた植民地を開放しなければならなくなりました。

ケニア国旗:国名はケニア山に由来。言語:スワヒリ語・英語 人口:約5400万人

ケニア共和国がイギリスから英連邦として独立したのは1963年12月12日。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』1966 年 6 月 15 日 ジョモ・ケニヤッタ大統領

ケニヤッタは1964年12月12日~1978年8月22日までケニア共和国の大統領を勤め上げた「建国の父」。

そんなケニヤッタが後世に残した有名な言葉が↓こちら。

「宣教師がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた」

「彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた」

「われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった」

ジョモ・ケニヤッタ語録

~いつの時代も悪人ほど善人のふりをしたがるもの~

欧米列強による植民地支配の事実を余すことなく伝えてくれています。

侵略を許さなかった天下人秀吉

我が国に種子島(火縄銃)が伝来し、ザビエル・フロイス・アルメイダなどを筆頭とした伴天連がやってくるようになるのは1500年代の中頃から。

それ以降、主に九州の耶蘇系大名領地を中心に「布教活動」という名の侵略行為が蔓延する時期と、天下人『豊臣(羽柴)秀吉』が『九州仕置き(島津北上阻止)』を完了するタイミングが重なり合うのが1586年ころ。

一時は、伴天連(宣教師)が持ち込む南蛮由来の珍品・武器・交易品に色めき立った各地の諸侯も、やがて海を渡ってきた彼らが「何を求めて日ノ本にやってきたのか」を思い知らされることになります。

天正6年(1578年)「高城川の戦い」以降、敗戦側の豊後(現大分県)では大量の孤児・後家(主人を亡くした女性)が発生。食い扶持を求めて他国(肥後・肥前・筑後など)に身を寄せたり、スペイン船に乗せられ(拉致)、遠く南蛮方面(インドシナ・タイ・インドなど)に売られる者が続出しました。秀吉による伴天連追放令( 吉利支丹伴天連追放令)は、人身売買・日本人拉致が激化した天正15年6月19日(1587年7月24日)に発布されました。
  • 風紀を乱す伴天連の狼藉
  • 人身売買の痕跡
  • ゴア・マニラの惨状
  • 植民地経営の実情
  • 布教という名の反乱(内乱)助長

また、当時欧州でスペインと敵対関係にあったオランダ人からよせられた助言「スペインは布教とともに植民地支配を企てている」を参考にすれば、日本側としては、とてもではありませんがスペイン国と、そこから派遣される伴天連を信頼する事など出来ませんでした。

天下人秀吉は、治世の最初期こそ耶蘇教に寛大なる態度で接していましたが、耶蘇・伴天連が及ぼす害悪性が全国各地から報告されるに及び、

  • 布教許可地区を遵守せよ
  • これ以上伴天連は送るな

と、スペイン側に再三再四警告を発する様になります。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』スペイン帝国の領土の地図 Author・Trasamundo

ところが・・

同時期のスペインは、南米・メキシコ・キューバは無論、アフリカ・インド・フィリピン方面の港町を植民地支配下に置く大帝国。

スペイン側は、天下人秀吉から発せられた命令に従うふりをしながらも、陰では着々と植民地支配に繋がる破壊工作を繰り返していたのです。

これに激怒した天下人秀吉は、当時のスペイン国フィリピン総督ダスマリナスに対し、

  • 「スペイン王を日本に連れてこい!」
  • 「ダスマリナスは日本で謝罪せよ!」
  • 「人身売買(日本人拉致)をやめよ!」
  • 「命令に背けばスペイン本国もスペイン領マニラも攻め滅ぼす!」

↑内容の書状を送り付け、3度にわたりスペイン側を恫喝

戦後日本人の多くが誤認(勘違い)しているだけで、当時の日本の軍事力はおそらく世界最強。

ですから、日本から遠く離れたスペイン本国(フェリペ2世)はともかく、アジア諸国に轟く日本人の武勇・軍事力を聞き及び、実際に書状を受け取ることになったダスマリナスは恫喝内容にビビりまくり、急遽マニラ城(イントラムロス)の構築(大拡張・強化)に乗り出し、併せて、スペイン本国に対しては救援(増援)要請しつつ、日本側をなだめる為の貢物(諸経費)を催促する様になります。

スペインを十分すぎる武力をもって恫喝した天下人秀吉でしたが、やがて遠隔地であるフィリピン出兵案を取りやめ、日本列島にほど近い大陸沿いを制圧する国防強化策に方針転換。

史実として1592年~1598年『朝鮮出兵』(文禄・慶長の役)へと作戦変更する事となるのですが・・そのあたりの詳しい事情説明は別の記事にて。

かつての宣教師も現代グローバリズムも、結局は侵略手段なのです!

  • 宣教師(白人)が、実際にアフリカ(黒人国家)でやった事
  • 大航海時代(日本の戦国期)に、スペイン国や、耶蘇の伴天連どもが日ノ本でやろうとした事

時代は違えど↑は同じ事

もちろん、

世界を席巻する現代グローバリズムも、究極的な目的は同一。

万が一にも、我が国がこのまま現代グローバリズムを受け入れ続けてしまえば、やがてジョモ・ケニヤッタ語録と同様の↓嘆きの声が「日本中に木霊する」かもしれないのです。

「金融勢力(現代グローバリズム)が日本にやってきたとき、われわれは土地と主権を持ち、彼らは紙切れと約定を持っていた」

「彼らはわれわれに目を閉じて紙切れと約定を大切にするように教えた」

「われわれが目を開いたとき、彼らは土地と主権を持ち、われわれは紙切れと約定を破った罪状を持たされていた」

当サイト住人作:ジョモ・ケニヤッタ語録の日本版吹き替え

冒頭に紹介したジョモ・ケニヤッタ語録の意味も、続いて紹介した天下人秀吉の伴天連追放令と、3度に渡るスペイン恫喝書状の意味も、

すべては、泥棒・侵略者に対する事実の指摘(歴史の証言)

  • 「嘘つき!」
  • 「泥棒!」
  • 「悪党!」
  • 「帰れ!」
  • 「出ていけ!」
  • 「二度と来るな!」
  • 「対立と戦乱の配達者!」
  • 「神の名をかたる悪魔!」

↑と受け止めるがおそらく・・・・正解なのでしょう。

  • かつてケニアに出没した泥棒は、聖書片手に罰当たりにも聖職者(宣教師)のふりをしながらやってきたそうです。
  • かつて日の下に出没した侵略者は、貢物片手に罰当たりにも聖職者(宣教師)のふりをしながらやってきたそうです。

ここまでの記事内容をご覧になって、

「↑事実の指摘は、現代グローバリズムにも当てはまる!」

と感じられたなら、

きっとそんな皆さんにとっての現代グローバリズムは、かつての宣教師が担っていた役割と同じ意味を持つ(侵略者)という事になります・・よね!

敵を見抜き、国力を高め、軍事力を強化する

我が国の英雄・天下人秀吉は、圧倒的武力を背景に堂々と侵略者(スペイン国・耶蘇教・伴天連)を撃退して見せました。

では、現代グローバリズムに飲み込まれる寸前の私たち日本人はどうすべきなのか?

  • 先ずは、歴史を知り侵略者を正確に見抜く事
  • 次いで、敵襲・籠城に耐えうる国防強化に乗り出す事
  • 最後に、敵を撃退しうる軍事力を保持する事
    • 理想:米軍を追い出し、売国奴を国外追放・投獄処分する事

冗談でも、「われわれが目を開いたとき、彼らは土地と主権を持ち、われわれは紙切れと約定を破った罪状を持たされていた」などの、笑えない未来がやってこぬように・・

現代グローバリズムに対しては、断固たる拒絶の意思(敵認定)を示していかねばならないはずです。

おしまい。