画像説明:【厳島神社・大鳥居】神勅をうけ佐伯鞍職が推古元年(593)厳島の同地を選別。宗像三神を祀る
1年ほど前、夫婦二人で水神様系の神社に参拝した折、
「拝殿の扉を開けましょう・・中で参拝なさいませんか?」と神職さんにお声をかけて頂きました。
境内の案内も含め正味一時間ほどお話する機会を頂いたのですが、流石は日々神様にお仕えする方、数多くの不思議・奇跡のあれこれや、実生活面でも役立つお話を頂戴いたしました。
そんなお話の中でも特にタヌキがみなさんに伝えておきたいと思った”開運豆知識”を1つ・・今回はご紹介してみたいと思います。
ま、改まって書き置くほどの事でもないんだけど・・心掛けていなかった方はぜひ参考にしてみてね!
神様は(参拝者の)心の向きと目線を見ておられます
神職さん曰く・・
「神様はそれぞれの場所にふさわしくお祀りされている場合もあれば、祠や石やお札のように、象徴だったり、人の手で持ち運べたり移動できる状態になっていらっしゃる場合も存在しています。」
「人の視線より高い神様もいらっしゃるし、低い神様もいらっしゃるでしょう。」
「参拝される方はぜひ(それぞれの)神様に一度はしっかりと目線を合わせて頂いて、心を清らかに御対面することを心掛けてみてください。」
神職さんは説明の傍ら神様にお仕えする作法を身振り手振りで示しながら実際にやってくださいました。
口元・・目線・・笏の持ち方・・背の角度・・足の運びに戻し方・・
詳しく語られる作法の数々をおいてなお・・最後には結局”人の心”とおっしゃっていたのが大変意味深に感じられました。
対人でも目線を合わせ失礼のないように会話を運ぶことが大切なように・・神様にも目線を合わせそして心を込めてお祈りすることが肝要との事。
神様は訪れる者の姿勢や目線、心と身体の清潔なるかをご覧になっているそうです。
『〇拍〇礼』や、『鳥居・境内』の歩き方・・その他諸々の神社での作法とともに是非心掛けてみてください。
神職(しんしょく)・神主(かんぬし)・宮司(ぐうじ)の違い
普段聞きなれている言葉でも、実際の意味の違いを言い分けてみなさいと言われると・・案外難しい言葉ってありますよね。
・・って事で、神職(しんしょく)・神主(かんぬし)・宮司(ぐうじ)の違いについて少しばかり説明しておきましょう。
神職(しんしょく)とは
神職は、神に奉仕し様々な祭祀・儀式・社務などを執り行う者の総称です。
神社本庁では「神職身分に関する規程」で、特級・一級・二級上・二級・三級・四級と、階級分けしているけど・・なんか少年漫画のラスボスが出てきそうなんでその辺は紹介しません。(爆)
取りあえず、神職さんは「神様に仕えていらっしゃる人」で問題ないと思います。
神主(かんぬし)とは
神主は、一般社会の「大工」「美容師」「医師」などと同じように「職業」としての名称なんです。
実は神道の世界には神主と呼ばれる階級や役割はありません。
もちろん言葉の意味合いは神職と同じです。
宮司(ぐうじ)とは
宮司は、神職の中でも特にそれぞれの神社の最高責任者を務めている方を指して呼ぶ名称です。
ただ・・現在では全国に8万社以上ある神社に対し、神職さんはわずか1万人足らずなんですって。
ですからよほど大きな神社でない限り、一人の神職さんが各神社の代表(宮司)を兼任している場合が多く、
神職=宮司になっているんですって・・
早くみなさんが神社の現状について、気付いてくれないかしら。
穢れは溜まるものです・・【開運】祓い清め(禊)を心掛けましょう!
日々世にふる諸々を知らず知らずに溜め込んでしまうと・・
様々な、歪・ストレス・憤り・疲れが蓄積し、対人関係の悪化や社会に対しての不信感が拗れて来るようになるかもしれません。
人は生き物です。
人は生ものです。
目覚めも眠気も長続きしないように、喜怒哀楽も長続きしないようにできています。
お腹がすけば苛立ち、満腹になればホッとし、けなされれば憤り、褒められれば嬉しくなるものです。
幾度となく繰り返す日常の徒然にも”穢れ”と無縁で過ごせるわけではありませんから、上手な気分転換やストレス解消・・そして上手に穢れを祓う”禊”を取り入れてみるのはいかがでしょうか?
「滝に打たれる様な大がかりな禊は無理だけど・・近所の神社参拝程度なら」
そんな気楽な感じがお勧めです。
【パワースポットに関する過去記事⏎】
近所の神社へ・・
お天気のいい休みの日などに、ご近所の神社へお出かけしてみませんか?
よほどの都会であっても境内には木が植えられているはずですし、清潔に保たれているかと思います(開運ついでの散歩に最適)。
また田舎の過疎地では・・氏子が居なくなり朽ち果てるままにされた古ぼけた神社さんが散見される場合もあるでしょう。
「私たちのご先祖様はどうして日本中に神様をお祀りしたのだろう・・」
神社に不意に置かれた祠の意味は・・大昔の水害の目印(水位)かもしれません。
樹齢1000年を超える御神木は・・神社の創建の年月を物語っているかもしれません。
先人方がこんにちの我々に引き継いでほしいと願った”大切な伝言”が無言のまま・・しかし確かにそこには”ある”のです。
”ある”ものに気付かず”ない”ものを追いかける現代人。
たまには携帯の存在を忘れ、仕事や家庭や親や子供や友人や恋人も・・
すべて忘れて神様のお膝元に遊びに行きましょうよ♥
神様もみなさんの訪れを心待ちにしてくれているかもしれませんよ。
神様と目線を合わせ・・心安らかにお祈りする・・・・
お散歩・散策で境内を歩くだけでも【開運】が期待できますし、日々のいい気分転換・リフレッシュにもなるのではないでしょうか?
神社は基本的な作法を間違わなければ穢れを祓う”禊”には持ってこいの場所です。
日々の疲れや穢れも・・慣れてくればいつの間にか清められていくと思いますよ♥
忙しすぎて今まで神社参拝などをやって来なかった人ほど「繰り返せば効果てきめん」です!
言葉では表現し難い【開運】を頂けるかと思います。
物は試し・・是非取り入れてみてください。
おまけ:西行の歌と日本人の宗教観
何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
西行
意味:(伊勢神宮を遠方に・・)我が身ごときが例えることさえ憚れる気配(伊勢大神)に触れ・・ただただ有り難くも涙が自然とこぼれ落ちてくる。
僧であった西行は伊勢神宮への進入がゆるされておらず、広大な神域を遥かに望む場所で「何かがいらっしゃる」方向に祈りの気持ちを傾けると、「自然と涙がこぼれてきた」と歌い上げています。
僧籍でありながらも日本の八百万の神々を敬い、畏敬のありがたさをただ心の内に感じ取る。
古来よりの日本人の宗教観・・
「いたるところに神ありき」をもっとも端的に言い表したような西行の短歌。
こんにち日本人の多くが忘れかけている、
「何に対しても感謝する精神性」
「見えない存在を疎かにしない国民性」
これこそが大切なのだよ、思い出しなさいと・・訴えかけているようにも思えてなりません。
見えるもの・・聞こえるもの・・触れるもの・・嗅げるもの・・味わえるもの・・
直接五感に訴えかけるものやバーチャルやdigital世界に長く身をゆだねてしまうと・・
”ある”と思い込まされたものに囚われ、空の内、心の内に本当は”あった”もの、大切な何かが失われていくような”錯覚”を感じたことはありませんか?
今だけ・金だけ・自分だけ
でも・・昔の日本人の多くは知っていたのではないでしょうか?
「それが愚かな事で、長続きしないという事を」
先人方が・・国土を清潔に保ち、八百万の神々を祀り、先祖を供養し、国家を引き継ぎ、命を繋ぎ・・世界に冠たる伝統文化をこんにちまで伝えようと出来た原動力はひとえに・・
「いたるところに神ありき」・・「何に対しても感謝する」
「祈りと禊・祭祀の重要性」・・「見えない存在を疎かにしない」
・・を忘れる事がなかったからに他ならないのです。
私たちも西行の歌に倣い、少しづつでも思い出していきましょう。
何ごとかに守られている奇跡を・・
何ごとにも感謝できる国民性を・・
何ごとも大切にできる寛容さを・・
そして同時に、伝統文化によらない欲まみれの諸々を祓う勇気を・・