【日本の歴史】令和の御代、先人方の弛まぬ努力の結果『平和』を享受していられる私たちだからこそ知っておきたい日本の国柄・大転換点。
本項ではタヌキが独断で選んだ日本史上の三大転換点を「流しそうめんの様に」解説していきます。
今回は歴史的断層面:③『大東亜戦争敗戦~現在』の1「大東亜戦争迄の道」前編です。
注:歴史講座ではありません。専門的に調べたい方はそれぞれに特化した環境にておねがいします。
こんなことが書かれています
- ①日清戦争:明治27年(1894)
- ②三国干渉:明治28年(1895)
- ③北清事変(義和団の乱):明治33年(1900)
- ④日露戦争:明治37年(1904)
- ⑥絶対的排日移民法成立:大正3年(1924)
- ⑦世界大恐慌:昭和4年(1929)
- ~本項はここまでの解説だよ♡~
- ~⑧以降は後編にて~
- ⑧満州国建国:昭和7年(1932)
- ⑨激動の昭和12年(1937)事件簿
- ⑩米ハル・ノート提示:昭和16年(1941)
- 捕捉:ある仲良し島国を襲った一通のお手紙の物語「ラブレターfromYAKARA」
- 捕捉:知っておこうね「パル判事」の言葉
- まとめ

お約束の『三行まとめ』・・最後(後編)に置いておくね♡
お忙しい方はそこだけ覗いて見てね
日本の歴史的断層面:大東亜戦争までの主要事件の年表
それでは、大東亜戦争がなぜ起こったのかの前編を簡単な年表にまとめてザックリと説明してみるね。
以下、太い黒字の部分だけ流し読みできるようにまとめてあります。
①日清戦争:明治27年(1894)
日本と清朝との戦争。

http://sukeikai.meijijingu.or.jp/meijitenno/2997.html
長く清朝の属国であった朝鮮半島。そのころ宗主国清朝もアヘン戦争以降急激に弱体化しており、その間隙を縫って巨大帝国ロシアが朝鮮半島に南下する動きを見せていた。これを放置しておけば日本の安全保障に重大な障害が出てくると感じ始めた日本。(1600年代にはすでに太平洋岸に到達していたロシア帝国。1860年にはウラジオストック港を開いている。)そのような情勢下、苦肉の策として打ち出された打開策は「朝鮮半島に自主独立国を打ち立て、それを援護し支える事で日本防衛の橋頭保を確保する事」であった。日本は粘り強い交渉の末朝鮮との間に(1876)『日朝修好条規』を締結することに成功する。この内容は当時としては画期的なもので・・
その第一条で「朝鮮は自主独立の国で日本と平等な権利を有す」と宣言している。
ところが清朝は朝鮮の独立を認めようとせず直接軍隊を派遣し、朝鮮独立運動の”芽吹き”をことごとくつぶしていく。明治19年(1886)には清朝の北洋艦隊4艦が長崎港に入港し日本に恫喝とも取れる行動を起こす(死傷者75人)。平和裏の交渉では朝鮮半島の独立は無理だと悟った日本は軍事行動を決断する事となる。こうして始まった戦いが『日清戦争』である。
かくて主戦場となった黄海海戦で完璧な勝利を収めた日本は、清朝に「朝鮮半島の独立を確認させる」事に成功する。
『下関条約』(⏎WIKI)の締結。
②三国干渉:明治28年(1895)
日本の清朝との戦後処理に不満を抱いたロシア・フランス・ドイツの干渉(横やり)。
『三国干渉』(⏎WIKI)



③北清事変(義和団の乱):明治33年(1900)
清で起こった内乱、後に対外戦争へと発展。
当時清には列国の公使館・大使館・租界などが北京・天津などの大都市に散らばっていた。そこへ「扶清滅洋」(清を助け、外国を滅ぼす)を旗印に掲げた「義和団」と呼ばれる宗教団体が各地で発起、見境なく襲撃事件を起こしていく。列国は事態の収拾を清朝に依頼するが、清朝政府は「国民のやる事」と傍観を決め込み、逆に清朝正規軍まで「義和団」に協力し始める。
列国の拠点はほぼヨーロッパにあり増援は不可能、自国民の外交官・居留民の皆殺しを避けるため、地理的に唯一増援が可能な日本に事態の鎮圧を依頼する。
日本政府は国際社会の反応を恐れ慎重な姿勢を保持していたが、列国の代表としてイギリス政府からの正式申し入れがあった事からようやくこれを承諾する。日本軍増援後は各国と協力し反撃に転じ、「義和団・清朝正規軍」を鎮圧することに成功する。
*この事件を機に日本の国際社会での信頼が高まり、後の『日英同盟』(1902)「大英帝国側からの提案により実現した軍事同盟」締結へと繋がっていくことになります。

*戦後俗に「なぜ日本の軍隊がシナ大陸に進行していたのか?!プンプン」といった、無知を自慢するような文化人がいらっしゃったりしますが・・
「おじいちゃん♡中央政府を持てないくらい混乱を極めていた大陸に警察権を行使する(治安維持)ため、国際社会から依頼を受けて日本軍が駐留していたんだよ!(もちろんその他の列強国軍も駐留していた)」って・・優しく教えてあげてくださいネ!
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*反乱鎮圧において唯一「住民殺害・略奪」を行わなかったのが大日本帝国軍のみである。
④日露戦争:明治37年(1904)
白人至上主義世界の中、唯一独立を保った国『大日本帝国』と巨大化する『ロシア帝国』との間で交わされた戦争の総称。
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世界の列国もロシアの巨大化には危機感を強めており、極東の小国である日本がロシアと開戦するとあって様々な協力を日本に行った。
大英帝国は『日英同盟』にのっとり、ロシアの物資補給・船舶の寄港などを妨害している。戦いは大方の予想に反して、旅順港攻防戦・日本海海戦・奉天会戦と、各地で日本が勝利を収めた。結果、ロシアの満州・朝鮮半島方面への南下を食い止めることに成功する。『ポーツマス条約』の締結
*日本側の勝利は世界の常識を覆す結果と受け止められた。白人至上主義の世界で有色人種の国家『大日本帝国』が勝利したことにより、インドでは民族運動がおこり、清では1000年以上続いた『科挙(共通の言語を持たないシナでの「公用語(古典)の試験」)』が廃止され、日本に多くの留学生を送るようになる。*日本は快く迎え入れている*
*その後世界的規模で植民地解放の機運が高まりを見せてくる。
*『ポーツマス条約』で大陸に足掛かりを持てるようになった『大日本帝国』であったが、反面その躍進は多くの植民地を抱える列強にとっては脅威として捉えられた。当時1900年代初頭は世界の大部分が白人国家の植民地であり、唯一手付かずな地域は「解体作業中の満州以東の極東地域」だったが、その地域に新興国家日本が割り込んできたと感じた列強は、その後日本に様々な難癖をつけてくることとなる。
*国家として著しい台頭を見せ始めた『アメリカ合衆国』は、地球上に残った最後の植民地支配権を奪うため『大日本帝国』を「国益を脅かす最大の妨害者」として認識し始める。
*アメリカの対日敵対思考はこの頃からすでに始まっていました。
⑤日韓併合:明治43年(1910)
『下関条約』にて独立を応援した日本だったが、国家をまとめることが出来なかった朝鮮半島の数度にわたる「併合要請」を受け、ついに明治43年それを了承する。


『大日本帝国』痛恨の大失態であ~~~ル
おいらたちも忘れないでおこうね♡
⑥絶対的排日移民法成立:大正3年(1924)
当時アメリカに帰化していた日系人も含めた「日本排斥運動の根拠法」の事。

シナ大陸での利権をめぐり国家として日本排除に乗り出したアメリカは、新聞・各メディアを動員し日本人への敵愾心を自国内で約20年に渡って煽っていた当時、その集大成として成立したのがこの法律。内容は驚愕なものばかりで、アメリカ国民として迎えられた「日系人」にまで及び、「土地所有の権利など」それまであった多くの権利をはく奪されることとなった。
*日本はこれに先立ちアメリカに移民を送らないことを取り決めた「日米紳士協定」(1908年)を結ぶなど、独自の努力を怠らなかったが、アメリカの対日敵視政策は止まることはなかった。
*同法の成立は当時の日本社会全体にも衝撃を与え、比較的親米傾向を保っていた日本の世論が大きく反米へと傾く結果を生み出した。

イエ~~イ!
さすが自由と平等の国アメリカ!!
野蛮な国々にいろんなことを教えてくれる学校の先生みたいだね!
⑦世界大恐慌:昭和4年(1929)
アメリカの政治家が自分の関連する企業の利益を上げるため提出した法案「ホーリー・スムート法(翌年成立)」がショックとなり株価が暴落した事件。

同法の最大の趣旨は「輸入品に対する高関税」を可能とすることであり、このアメリカの大転換に引きずられるようにして起こった「株価の暴落・大恐慌」をきっかけに、世界は自国の権利を護るために保護貿易の方向性を示していく。その後アメリカは自由貿易から離脱し、大英帝国も『オタワ会議』(1932年)においてブロック経済化を決定する。
*資源を独自の内に賄う事が困難となったドイツ・イタリア・日本は、急速に国家社会主義化して世界的な潮流に乗り遅れないように方向転換を進めて行く。
*また当時第一次世界大戦の賠償金の支払いにあえいでいたドイツは、この世界的な保護貿易の結果、国内では急激なインフレ状態が進んでしまい、あわせて大量の失業者を生み出した問題で国民不満は最高潮に達していた。このような状況下、経済問題の解決をうたった「ナチス党」の台頭をドイツ国民は熱狂の内に歓迎していくこととなる。
*経済的な打撃によりドイツ・日本などの持たざる国が戦争に突き進まねばならない道を整備したのはこの「ホーリー・スムート法」を通したアメリカ、ブロック経済化した大英帝国側であると言える。

え?なぜそう言い切れるの?
戦争はドイツや日本が仕掛けたんじゃないの??

原油・鉄・ゴム・石炭・ガス・食料・・ある日突然「明日から各自自分で賄ってね!」って言いだしたら・・果たして現在でも戦争(条約違反)を回避できる国は・・多くないんじゃないかな?
物資の枯渇で超インフレ化・大量失業・治安の悪化・暴動・・自国民の飢餓を歓迎しながら「世界平和」の祈りの声だけで頑張ってみるかい?
*当時完全自給が可能だったのは植民地を大量に抱えた英連邦・アメリカ・だいぶ離れてロシア・フランスくらい。
*彼らは分かっていて保護貿易化を進めたんだよ。

じゃ~戦争を仕掛けたのって・・・

ネズさん・・そういう事なんだよ!
⑧満州国建国:昭和7年(1932)以降の後編はこちらから⏎