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憂国の旗手に捧ぐ:敵からの罵声は味方からの称賛なり

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一水四見:アートマンとブラフマン

一水四見いっすいしけん

手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池

詠み人知らず

『आत्मन् Ātmanアートマン』と『ब्रह्मन् brahmanブラフマン

個我がかわれば宇宙がかわる。

  • シナは、「日本の極右政治家」と呼び、日支関係の悪化を招いた張本人だったと喧伝。
  • (極)左派は、「レイシスト」と呼び、日本に差別を蔓延させた張本人だったと喧伝。
  • (極)右派は、「偉大な政治家」と呼び、三島氏と双璧の愛国家だったと喧伝。
  • 人々は、「○○」と呼び、属した既視感(妄想もうぞう)を基に勝手気ままに喧伝。
  • (番外)無明に暮らす者は、ただ夢の中(虚空)に彷徨いにけり・・
「故人を称える者は故人を超える可能性を秘め、故人を貶める者は故人の宇宙を解す術無し」「やがて合わせ鏡のカルマの世界へ」

森羅万象も世の徒然も・・受け取る主体によって変化する様に・・

人の為した『कर्मन् karmanカルマ』、すなわちもまた、受け手によってその評価を異にするは必定。

個我(アートマン)こそは、『āyatana アーヤタナの世界(五欲・六根)に沐浴し、その積み重ねた既視感(妄想もうぞう)によって宇宙・万物(ブラフマン)を評し、身勝手にも裁きを下す存在(唯一神)へと変貌する。

ならばこそ、~個我(アートマン)は感謝に生きねば宇宙(ブラフマン)そのものを失ってしまう~のです。

忠言逆於耳、而利於行

忠言逆於耳、而利於行

忠言ちゅうげんみみさからへども、おこなふにあり

出典:孔子家語・六本

「”黙れ!”といえばいい」

「(日本人が)日本の国土を守ることに何か文句がありますか」

覚えていますか?人生で最初に交わした約束を・・たぶんそれは個々人にとって最高の忠言であり、一生の宝物になるのかもしれません

人は、耳障りな言葉にはなかなか振り向かぬものです。

しかし、真実に裏打ちされた事象や言動ほど、翻ってむき身で鋭利(心に突き刺さる)とも言えます。

妄想すること莫れ

絶え間なく沸き立つ欲求の数々・・

漠然と押し寄せる不安の数々・・

虚栄と侮蔑が誘う比較の数々・・

そのすべては、人が心につくり出した妄想からやってくると言います。

妄想は『cittaチッタを曇らせ、個我(アートマン)を狂わせ、宇宙(ブラフマン)を歪めた状態で認識させるのです。

瞑想は集中と解放の世界:妄想は分散と束縛の世界

の世界では莫妄想まくもうぞう、即ち妄想もうぞうすることなかれ」と、欲、不安、比較などをかたく戒めています。

理由は簡単ですね!

妄想欲、不安、比較)に現実(時間)を奪われ、為すべき最善おこない(修行)が疎かになる事を「愚か也」と教え(導き)ています。

要するに「妄想に囚われず、今できる最善を尽くしなさい」(くよくよせず、出来る事から頑張んなさい)・・と、こうなるわけです。

敵からの憎悪は英雄(英傑)の勲章!

故石原氏は、生前この様に呟いたことがあったそうです。

「人から憎まれて・・・・死にたいと思う」・・と。

大多数の者は、言葉通りの額面上を受け取ったり、年寄りの憎まれ口と解すのかもしれませんが・・

筆者の宇宙(ブラフマン)において、(その言葉は)「氏に寄せられし『pratighaしん(憎悪)は、本来は日本国民すべてが等しく受けるべきカルマ(業)である」と変換されるのです。

  • 敵組織からの憎悪
  • 売国組織からの憎悪

旅立ちて尚、これら憎悪を引き受け続ける国士の存在は、はたして国中探してどれ程見つけられるでしょうか。

故人の生前の言動と活躍は、今も国家国民の浄土(御仏が往す清らかな国)を為し、そして護り続けているのです。

Nirvana、ニルヴァーナ:二人の死の意味

日本国民各位が独立国家の構成員であるとの矜持を逞しくし、日本国が真の独立国家に脱皮していこうとすれば・・各方面からどれだけの”憎悪”が浴びせられることでしょう。

だからこそ故石原氏は、生前から前もって自らの墓標に刻む文言を用意しておいたのではないでしょうか。

「死して尚、敵から恨まれるほどの御盾(存在)となりて御國を護らん」・・と。

一蓮托生:再会は果たせていますでしょうか?

この精神性は、奇しくも交流のあった故三島由紀夫氏の生き様とは一見対極に位置する精神に捉えられそうですが・・実は同根の精神を戦後日本人に訴えかけているように思えてならないのです。

故三島氏の辞世の句に、以下の有名な歌があります。

散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐さよあらし

三島由紀夫・辞世の句

意味解釈:散る事をためらう者が多い世の中にありて、「花は散るからこそ花なのだ」と言わんばかりに(私に)吹き付ける今宵の嵐であることよ・・

独自解釈:為すべき時に為すべき事を為さなくなった日本人。ならばこそ、我が誰にも先駆けて為して(散って)見せねばならぬと・・そう急かしつける我が心に「迷う必要も無し」と、護国の道の正しさを(今宵の嵐は)教えてくれているのだろう・・

1956年撮影・三島由紀夫氏(手前)と石原慎太郎氏(奥)・画像出典:http://www.bungakukan.or.jp/(引用2022/2/9)

国を憂うあまりに早すぎる死(1970年11月25日割腹自殺)を遂げた、故三島由紀夫氏の最後の言葉は、「世(全ての戦後日本人)に先駆ける(手本を示す)事で、護国の必要性を訴えねばならぬ」、との止むに止まれぬ義気に満ち溢れています。

対する故石原氏のそれは、「我は死して尚敵を睨み続けよう。だからこそ残された諸君も、たかが敵に憎まれる如きで日本人の本分を忘れるなかれ」と、訴えているようです。

  • 為す事を、教えんがために散って見せた故三島氏の『道』
  • 為す事を、人生の限り為し続けて見せた故石原氏の『道』

『自己犠牲』・・どちらの道を辿っても、行き着く場所(涅槃)は決まっています。

靖国に祀られし英霊各位のもとに集い、御盾となりて天皇皇室を護り参らせ、心を同じくする日本国民の心の中に生き続けていくのです。

~永遠に~

故石原慎太郎氏のご冥福、心よりお祈りいたします

9月生まれの故石原氏にふさわしき純白の菊花

故石原氏のご冥福さえ妨げようと、国内外から沸き立つ憎悪の数々は、故人の努力によって守られた日本国民の利益(浄土・喜び)の数々と同数。

ならばこそ・・今を生きる日本人全体に問いたい一言があります。

「敵をして、これほどの憎悪を言わしめ冥府へ旅立った者は、味方側にとっての『大英雄』ではなかったのか?」・・と。

國を憂いて放たれた歯に衣着せぬ言動と、一見独善的で諸処に誤解を生みだした行動力こそが、なにより妄想からかけ離れた宇宙(ブラフマン)の構築者だったことを、(逆説的に)証明してみせた偉大な政治家・・

【故石原慎太郎氏】

  • 故人に寄せられた「憎しみの数」は、本来ならば戦後日本人一人一人が背負わなければならなかった(カルマ・)の肩代わりであったと心得ます。
  • 故人が生前に為した行動と言説こそは、「妄想すること莫れ」(四の五の言ってないで、日本をしっかりした独立国家にしていこうぜ!)の手本であったと心得ます。

冥府への旅路において尚、私たち国民に「立ち上がれ」と、伝言と課題とを残してくれたその生き様・・

「御國の行く末、しかとお任せあれ」

哀悼の意を表すとともに・・ただ一言、このように添えさせていただきたく存じます・・合掌。