2月は1年で最も寒さを感じる時期から、春の到来を感じさせる「季節の境」・「年の境」が日本の伝統行事の中にも~旧暦のお正月(旧正月)があるように~存在しているんです。
このページでは2月といえばで思いつく、あるいは2月にまつわる色々な事柄を集めてみました。
知っているようで知らなかった2月のあれこれ・・みなさんもぜひこの機会に振り返ってみてはいかがでしょうか?


2月にまつわる都道府県別の「お祭り」などが最後の方に紹介されています。ゆっくり見ていってくださいネ♡
2月の別名や語源
我が国では旧暦の2月を『如月』と呼び、現在でも新暦2月の別名として用いていますね。
古くは日本書紀の中に「きさらぎ」と表されおり、日本での2月を「きさらぎ」とする歴史は最低でも奈良時代までは遡ることが出来ると言えます。
語源については諸説ありますが、最も有力なのが~寒さをしのぐために衣を(更に)たくさん重ね着する事。これが「衣更着」と呼ばれ、徐々に変化して「きさらぎ」になっていった~という説です。
「如月」の漢字表記は古代シナの古典「爾雅」に由来するとされ、「爾雅」に”2月を如となす”との記述があるそうです。
しかし「如月」という漢字表記がどのような理由から”きさらぎ”と読む(当てる)ようになったのかまでは残念ながら判然としていないそうです。

「爾雅」は春秋時代(紀元前700~200年代)の各国の言語解釈を漢時代に漢語化した「古典語義解釈書」の事だよ。
シナ大陸の各都市(国)ごとに別々の読み方をしていた文字を、その使用例とともに書き写したもので、日本でも古くから紀伝道(歴史)の教科書として取り入れられていたそうです。
その他の2月の異名・別名
『仲春』=旧暦では1月から3月までが春とされていたことから、春のまんなかという意味で「仲春」となりました。
『梅見月』=そのままの意味で「梅が見ごろを迎える月」だそうです。
『初花月』=「初花」が本来は年のはじめに咲く「梅」を意味していたそうで、その梅が咲き頃を迎える月という意味です。
『木の芽月』=そのままの意味で「木の芽が出始める月」だそうです。
この他にも2月には・・
『梅津早月』『恵風』『建卯月』などの別名があるそうです。
英語の2月『February』について
ローマ神話の神・フェブルウス (Februus)の名前にちなみます。
古代ローマでは農閑期の1月と2月は「死の月」とみなされていて、戦乱でなくなった戦士の魂を鎮めるための慰霊祭「フェブルアーリア」が2月にフェブルウス神の名で執り行われていました。この故事が英語の2月(February)の語源となっているそうです。
2月の暦・祝日
2月3日頃:節分(せつぶん)
節分の本来の意味は「立春・立夏・立秋・立冬」の四季を分ける日の前日の事です。
なかでも1年の始まりの春(立春)の節分は特別視されていて、単に『節分』といえば立春の前日2月3日ごろを指します。

豆まきの始まりは?・・伏見宮貞成親王の著した『看聞日記』応永32年(1425)に「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」とあるのが遡れる豆まきの最初です。
なぜ豆をまくの?・・豆は生命活動を支える食物として米とともに特に重要視されていました。そして豆の読み「まめ」は「魔を滅する」の語呂に通じる事から、豆の持つ呪術的な力にあやかって魔(病気・災難・飢饉)などを祓う意味合いが込められています。
なぜ鬼に向かって投げるの?・・日本の鬼の歴史は大変古く、阿蘇神社の御祭神「健磐龍命の伝説」(鬼を投げ飛ばす)・「高千穂地方の神楽」(投げられた鬼を看病する)にも起源をもとめることが出来ます。
古来より日本では善と悪は表裏の関係と理解されていて、悪(鬼)を調伏(退治)すると、必ず反対側で新しい喜び(福)が(調伏した鬼の手によって)来訪すると考えられていました。ですので一神教の悪魔とは違い、日本の鬼は~調伏すべきであるが、丁寧に説き伏せれば幸福をもたらす面も内包している存在~となっていきました。
このような日本独特の精神性に裏打ちされ「悪(鬼)は去れ、そして戻って(福)をもたらせ」という考え方が一般的に広まり、確認できる室町期頃には鬼に扮した対象や家屋の外側に向かって「鬼は外・福は内」の掛け声とともに豆をまく習慣が出来上がっていったようです。

豆を食べる個数は「年齢の数と同じか1つ多い数」らしいよ!

一年(春)の始まり(節分)に、様々な災いを鬼に見立て調伏(豆まき退治)することで、無病息災(福)を呼び込もうとしたんでしょうね・・
2021年2月3日:立春(りっしゅん)

四立(立春・立夏・立秋・立冬)の一つで、「二十四節気」の一つです。
「二十四節気」の日は固定ではないので年ごとに立春の日はかわります。(概ね節分の翌日・2月4日頃)
「立春」はその文字通り「春を感じる(春が立つ)最初の日」という意味の二十四節気の最初。体感としては全く感じられないかもしれませんが立春をもって暦の上では春となります。
旧暦では一年の始まりの正月が立春付近であった為、この日は「春・年」の出発点(起点)でもありました。

ちなみに立春を過ぎてから吹く強い風(南風)を「春一番」と言うんだそうですが・・この時期の外の風は冷たすぎて、全然春っぽく感じないですよね~。
もとは戦国時代(前500~200年代)のシナ大陸の中原(黄河中流域)と呼ばれた地域の「季節を表す暦」として編み出されたものが日本に伝わったものです。
その始まりが「立春」で、以下二十四節気は御覧の通り。
旧暦月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
節季 | 立春 | 啓蟄 | 清明 | 立夏 | 芒種 | 小暑 | 立秋 | 白露 | 寒露 | 立冬 | 大雪 | 小寒 |
中気 | 雨水 | 春分 | 穀雨 | 小満 | 夏至 | 大暑 | 処暑 | 秋分 | 霜降 | 小雪 | 冬至 | 大寒 |
日本の季節感と大陸のそれとはずいぶんと違いがあった事から、日本では二十四節気にプラスするように「雑節」と呼ばれる季節の移り変わりを表す日を設けています。
新暦月 | 2月 | 3・9月 | 3・9月 | 5月 | 6月 | 7月 | 四立の頃 | 9月上旬 | 9月中旬 |
雑節 | 節分 | 彼岸 | 社日 | 八十八夜 | 入梅 | 半夏生 | 土用 | 二百十日 | 二百二十日 |

さらにさらに日本には二十四節気それぞれをに三つに分けた「七十二侯」とうい節目もある事から、昔の日本人が季節の移り変わりに敏感で、自然とともに暮らしていたかが分かります。

オリジナルに手を加えて最高のものをつくり出す日本人の柔軟性と感性の豊かさを、このような「暦・節目・季節感」の中にも垣間見ることが出来ますね!
2月11日:紀元節(きげんせつ)

初代神武天皇の即位の日・紀元前660年の「正月朔日」(1月1日)を、明治時代に新暦に換算し2月11日と定めました。
この神武天皇の即位年を「皇紀元年」と呼び、即位日を諸外国で言う「建国記念日・独立記念日」として祝日化したのが、こんにちの我が国の「建国記念日」なのです。

現在の「建国記念の日」は国民の祝日:昭和41年(1966)「建国をしのび、国を愛する心を養う。(日)」として制定されました。
我が国は世界最古の国家で・本年度(令和3年・西暦2021年)は「皇紀2681年」です。
つまり『皇紀年=国家の年齢』『紀元節=建国記念の日』という事になりますね。

ちなみに「紀元節」の「紀元」とは、国家建国の最初の年という意味で、「節」とは、ものや時節の結び目・ふし目という意味。
敗戦を機に占領軍(GHQ)が、天皇と国民の結びつきを分断するための政策の一環として強制的に「紀元節」を廃止ししました(昭和23年)。
GHQによって一旦は奪われた建国の精神を取り戻そうと、主権回復がなされた1952年「サンフランシスコ講和条約」以降、政権与党(自民党)を中心に紀元節を建国の日として制定しようとする動きが活発化しました。
しかし当時の野党第一党「日本社会党」が建国の精神の復活に大反対し、多くの関連法案が廃案となっていきました。そこで考えられた苦肉の策が~初代天皇の即位日にこだわることなく、単に日本の建国を祝う日~という、確定された日という意味の「建国記念日」とせず、なんとなくこの辺に日本が建国したとする日の「建国記念の日」と「の」を入れることでようやく制定にこぎ着けたという歴史があるからなんです(昭和41年・国民の祝日に関する法律の改正案が成立)。
閏日(うるうび)・閏年(うるうどし)

暦のずれを修正するために追加された日を「閏日」、閏日がある年を「閏年」と呼びます。
1年の正確な(地球が太陽を一周する周期)時間は「365日5時間48分45.168秒」であることから、約4年に一度、一日(24時間)分を追加しました。
日本における閏年の根拠法は「明治三十一年勅令第九十号」で定められていて、「皇紀を4で割って割り切れる年を閏とする」となっています。
閏日をなぜ2月に入れるのかは、実は古代ローマ時代(前700年代)の「ヌマ暦」までさかのぼるそうです。

ヌマ暦よりも前の1年(ロムルス暦)は3月に始まり12月に終わる10か月で暦を計算していました。ローマ皇帝「ヌマ・ポンピリウス」は、この10か月に新たに1月と2月を加え、1年を12か月とする暦をつくったそうです。ですから古代ローマでは3月が1年の始まりの月、2月が1年の終わりの月となり、閏日の追加も必然的に1年の最後の月「2月」なったというわけです。
その後「ユリウス暦」・「グレゴリオ暦」と暦は改変(改良)され、今日私達にも馴染みの「西暦・グレゴリオ暦」として使われるようになっていますね。

って事で、2月に閏日を追加する理由は
古代ローマの暦「1年の始まりが3月、終わりが2月」だった事に由来しています。
2月14日:バレンタインデー

日本のバレンタインデーの定着については諸説ありますが、企業の商業目的が習慣化したという事だけは確かなようです。
一般的には「女性側から男性側へ好意の気持ちを伝える日」と解釈されていますね。
最近では定番のチョコレートにこだわることなく、クッキーや手作りの品を贈ったり、そもそもの動機も、職場や人間関係を円滑にするためのあいさつ目的で贈る「義理チョコ」や・日頃頑張っている自分自身へのご褒美に「自チョコ」、同性のお友達への「友チョコ」なども流行りを見せているそうです。
諸説ありますが一番有名なものをご紹介します。
200年代のローマ時代、治世はクラウディウス・ゴティクスの頃。

当時のローマ帝国では男女の私的な結婚は認められていなかったそうです。その理由は「男性が遠い戦場に駆り出された時、愛する者を故郷に残していると士気が下がる」と考えられていたからでした。
ですので当時のローマの恋愛(結婚)は2月14日の祝日(家庭と結婚の神ユーノー)に女性が自分自身の名前を書いた札を箱の中に入れ、翌日15日の豊年祭に男性にくじ引きの要領で引かせ、札に名前が書かれてある女性と踊りを踊ったとされています(高確率で結婚したそうです)。
このようなやり方はもちろん当時においても不平不満が訴えられ、それを哀れんだ「ウァレンティヌス(バレンタイン)司祭」は皇帝の命に背きこっそりと男女の仲を承認し、愛する者同士の結婚式を執り行ってあげました。
その噂は当然のように皇帝の耳に届き、ウァレンティヌス司祭は捕らえられ、処刑されることになりました。
その処刑日として選ばれたのがユーノー神の祝日2月14日だったのです。
ローマ皇帝としては、命令を無視して男女の結婚を勝手に認めた反逆者の処刑日は、家庭と結婚を司る神ユーノーの祝日こそふさわしいと考えたのでしょうか。
やがて時代は下りローマ帝国は滅び、ウァレンティヌス司祭の勇気ある行動はキリスト教圏で聖別視されることとなり、こんにちの「男女の恋愛を見守る聖人」としての故事へと昇華していき、また併せて、2月14日は「恋人たちの日・聖バレンタインデー」とみなされる様になっていったそうです。

ちなみに海外では一般的に男性側女性側の区別なく「恋人や夫婦それぞれに対し感謝や愛情を伝える日」として定着しています。
イギリスでは「From Your Valentine(あなたのヴァレンタインより)」などと書いたカードを添えてお花やケーキ、アクセサリーなどを贈ったりするみたいだよ♡
2月23日:天皇誕生日(てんのうたんじょうび)

『天長節』=今上陛下のお誕生日
国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)により、祝日となっています。
その趣旨は文字通り「天皇陛下のお誕生日をお祝いする日」です。
「天皇」は一般的に「てんのう」と読む場合がほとんどですが、これは古代のシナの音です。日本読みでは「すめらぎ・すめろき」あるいは「すめらみこと」と読みます。
大和朝廷の頃は現在の天皇の名称は「大王」と呼ばれていましたが、600年代の終わりころから「天皇」(てんのう・すめらぎ)が用いられるようになりました。
また、「すめらぎ・すめろき」「すめらみこと」も厳密には使い分ける必要があるらしく・・
「すめらぎ・すめろき」=皇祖(歴代天皇・または皇統)を指す場合。
「すめらみこと」=特定の天皇(今上天皇)を指す場合。
・・と、このように使い分けるべきだそうです。
ですので「天皇弥栄」と書いた場合、その読み方は「すめらぎいやさか」か「すめろきいやさか」が正しい読み方となります。

「天皇弥栄」とは・・
単に”今上天皇の御代が続きますように”という意味だけでなく、どちらかと言えば”歴代天皇の皇統が永遠に続きますように”という意味の祝詞です。

ってことは・・
天皇=日本なんだから、日本国家の悠久もあわせて願っているんだね。

正解!
歴代天皇の御代の悠久を願い、多くの歌人たちは今日に伝わる素晴らしい歌の数々を残していますね。
『君が代の 年の数をば 白妙の 浜の真砂と 誰かしきけむ』参考:「紀貫之・歌」
『藻塩草 かくとも尽きじ 君が代の 数によみおく 和歌の浦波』参考:「源家長・歌」
2月23日といえば日本列島はまだまだ寒さの真っただ中ですが・・日本国民の至宝・令和を照らしてくださいます今上陛下のお誕生日を、国民一同で元気よくお祝いしてまいりましょう。
「天皇弥栄」
「日本弥栄」
「天皇陛下ばんざ~い♥」
2月にまつわるその他の行事・イベント
2月7日:北方領土の日(ほっぽうりょうどのひ)
北方領土とは:日本固有の領土『択捉島』『国後島』『色丹島』『歯舞群島』の事です。
2月7日の「北方領土の日」は、安政元年12月21日(1855/2/7)伊豆下田の長楽寺において、江戸幕府と当時のロシア帝国との間で結ばれた「日露和親条約」(正式名称:日本国魯西亜国通好条約)に由来します。
北方領土とは?
1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。
第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。
北方領土問題が存在するため、日露間では、戦後70年以上を経たにもかかわらず、いまだ平和条約が締結されていません。(一部抜粋)
外務省(引用:2021/2/14)
我が国も外務省を中心に、もっともっと積極的に国の内外に広報してもらい、今後とも「北方領土は日本固有の領土」という主張を官民挙げて訴えてまいりましょう。

日本人の中でも勘違いされている方が多いと思いますが、本来なら北方四島だけでなく、カムチャッカ半島から日本列島にかけて点在する「千島列島」すべての返還を求める事が正解です。
樺太南半分と、千島列島全体とで交換したんですから、日本は本来の領土全体を取り戻せるように頑張らねばなりません・・よね。
「樺太・千島交換条約」(⏎WIKI)
明治8年(1875)8月22日に東京で交わされた二国間条約。
南樺太(サハリン)の国境線確定が難航していた当時、日本側から提案された領土交換案。
日本が樺太の領有権を放棄する代わりに、千島列島全体の領有権を得るというもの。
*なお、その後の日露戦争(ポーツマス条約)では、千島列島全体とともに南樺太も日本の領土として、二国間で確認されています。

かえせ~~♡(カニ・ホタテ)

かえして~~♡(コンブ・ニシン・温泉)
2月8日:針供養(はりくよう)

人々の生活に切っても切れない裁縫の道具、「針」に感謝し供養する日です。
そもそもの発端は、「もの忌の日」としての「事八日」に由来するとされています。
行事としては・・日々の裁縫仕事で折れ曲がったり、錆びて使えなくなった「針」を粗末に捨てるのではなく、この日に合わせて社寺などで供養し、感謝をもって「針」とのお別れをする日とされています。
また一部の寺社では、日ごろの「針」をねぎらうために、「こんにゃく」や「豆腐」といった”やわらかいもの”にさして供養とし、裁縫の上達を祈願する場合もあるそうですよ。
事八日は日本に古くから伝わる年中行事で、古く日本では、事(仕事)の始まりと終わりには、”鬼や悪霊がやってきて様々な害悪をなす”と、信じられていました。
それが事始めの2月8日と、事納めの12月8日だったそうです。(関東の一部地域では事始めを12月、事納めを2月にする例もあります)
昔は様々な事柄に対して「もの忌の日」が設けられていましたが、現在までその伝統を色濃く残すのは「針供養」のみとなっています。
鬼や悪霊の害悪を避けるため、あるいは特別な来訪神を迎えるうえで失礼のないように、「家事をしない」「食事を避ける」「殺生を禁じる」など・・様々な生活活動が避けられていたようです。
2月の花
こよみの上では春ですが、まだまだ寒さの真っただ中・・そんな2月に見ごろを迎えてくれる素敵な花をご紹介します。
おおいぬふぐり

別名:「星の瞳」
オオバコ科・クワガタ草属の越年草。原産地はヨーロッパ。
花言葉は「信頼」「忠実」。
おおいぬふぐりの学名「Veronica(ヴェロニカ)」は、イエスがゴルゴダの処刑場まで自ら十字架を背負わされた際に、あふれ出る汗をぬぐうためのハンカチをささげた女性「ヴェロニカ」に由来しているそうです。
花の中心が白っぽく、目にも鮮やかな「青」が特徴の小さな花です♥
日本各地の道端や畑地の脇などに自生していますので、2月の頃、写真の様な「青い花」が目にとまりましたら、のぞき込んでみてはいかがでしょうか?
仏の座(ほとけのざ)

別名:「三階草」
シソ科・オドリコソウ属。
花言葉は「輝く心」「調和」。
その名の由来は”茎を中心として葉がそれを囲うように生えている様が「仏座(蓮華座)」に見える事”にあるそうです。
天に向かって淡い紫色の小さな花弁を誇らしげに咲かせます。
北海道を除く全国各地の道端や畑地の脇などに自生しています。運よく目にとまりましたら、仏様からのご加護が頂けるかもしれませんね。
春の七草の1つに数えられる「仏の座」は、ここで紹介しているシソ科の植物ではありません。
実は「小鬼田平子」と呼ばれるキク科の植物の方なんですって。
こちらは食用も出来るそうで、地面の近くに小さな黄色い花を咲かせます。
「仏の座」=食用✖
「小鬼田平子」=食用◎
2月の誕生石
誕生石を身につけていると様々な力が授かったり、魔よけの効果があったりするのだとか・・
また「女性側が男性から誕生石をプレゼントされる」と、守護(守り)の効果があるんですって♥
誕生石:アメジスト

宝石言葉として「冷静」「誠実」「心の平和」などがあるそうで、「愛の守護石」という別名が付くほど、恋愛関係にはご加護があると言われてます。2月に縁があり興味のある方は「アメジスト」、身近に置いてみてはいかがでしょうか?

ギリシャ神話に登場する「月の女神に仕えた女官『アメジスト』」に由来するとされていて・・お酒の神「バッカス」の狼藉(たぶん悪酔い)を、月の女神の力を借りて退けたという神話があるそうです。
そのためか、昔から「アメジスト」を身につけておくと”悪酔いしにくい”と言われています。
小声:「酒乱気味の方は・・どうぞ♥」
2月の旬の魚
魚はだいたい寒い時期がおいしくなります!
日本列島は海に囲まれているため一年を通して「お魚」には困らないですよね♥
・・って事で2月に「旬」を迎える魚をご紹介。
鮟鱇(あんこう)

比較的水深の深い海底に生息。水揚げ量や、その消費文化は茨城県が有名ですね。
アンコウ目アンコウ科の深海魚。
大きさは約1M。その最大級は2Mにも及ぶ種類もあるそうです。
あんこうは泳ぎが苦手な種類が多く、そのため頭の上についているアンテナ状の突起物を”疑似餌”の様に揺らし、おびき寄せた獲物をパクリと捕食するそうです。
あんこうは「捨てる部位が無い」と言われるほど、その身を丸ごといただけるそうで、「吊るし切り」に代表される独特のさばき方で、代表的な「あんこうの七つ道具」を切り分け調理します。
高級魚としても有名で、その身は淡白で低カロリー。
ただし「あん肝」と呼ばれる肝は、各種ビタミン類やDHA・EPAが含まれ栄養価が高い食材だそうです。
代表的な調理方法は何といっても「あんこう鍋」。
また、あらかじめあん肝を乾煎りしてから作る鍋料理「どぶ汁」(元は漁師料理で幻の調理法とも)という食べ方もあるそうです。
河豚(ふぐ)

敵を威嚇する為に体を膨らませることが出来る河豚。その見た目は滑稽で可愛らしくも見えますが、多くの種類は猛毒。その調理には都道府県が定める「調理資格」が必要です。
フグ目フグ科の海水魚。
大きさは最大のもので約50CMほど。
とても美味な魚で、「刺身」「鍋」「唐揚げ」「天ぷら」と、一般的な調理方法はどれでも味わえそうです。
一口に河豚と言ってもその種類によってお値段はピンキリで、天然物のトラフグになるとその取引価格はキロ当たり「2500~3500円(季節変動高め)」にもなるそうです。
ですので、フグ料理専門店などでコース料理を頼むと大体1万5千円~3万円の相場となるようです。
こんにち一般的に河豚は「ふぐ」と発音する場合がほとんどですが、歴史的には「布久」とか「布久閉」などと呼ばれていたそうです。
語源的にもっとも説得力を持つ説は・・河豚が威嚇やビックリした時に身体をふくらませる行為が「ふくれる」「ふくるる」と言い表されたことに由来するという説です。
現在でも山口県や九州の北東部(北九州・大分県)などでは、幸運の言葉「福」の音にあやかって「ふく」と濁らずに発音する地域があるそうですよ。
真鱈(まだら)

冷たい水温を好むため、夏場は水深の深い場所に生息していますが、脂ののった冬の産卵期には水深の浅い場所に移動してきます。
下あごから一本のヒゲが伸び、背中にまだら模様があるのが特徴的です。
タラ目タラ科の海水魚。
白身で肉質はやわらかめ。低脂肪で癖が少ない事から「ソテー」「鍋物」「フライ」などに多用されています。また「白子」と呼ばれる精巣部分はクリーミーな食感で、ポン酢などで頂くと美味。
そして「たらこ」(卵巣)は煮つけや焼き物としていただくとおいしいそうですが、こちらの卵巣に関してはスケトウダラの「明太子」が有名ですよね。
日本国内では主に北海道や東北地方で水揚げされる真鱈。最盛期は年12万トンを超える漁獲高を誇っていましたが、徐々に減少傾向が強まり、2002年頃には一時3万トン台まで漁獲高は激減。しかし乱獲防止や漁場整備が進められ徐々に回復、現在は年平均4~5万トンの漁獲高で推移しているようです。
お腹がいっぱいになるまで食事をした際などに「あ~たらふく食べた!」って感じの言葉を使ったりしますが、この”たらふく”実は魚の「鱈」から来ているんだそうです。
「鱈」はとても貪欲な魚で、餌に群がるや大量の食事(摂取)を一気にこなす事が可能なのだとか。
ここから満腹状態を表す「鱈の腹」「たらふく」という言葉が生まれていったそうですよ。
2月の野菜
寒い日が多く日照時間も少なめな2月は、野菜にとっては育ちにくい時期に思えますが、意外に旬を迎えるものもあるようです♡
春菊(しゅんぎく)

キク科シュンギク属の野菜。
原産地は地中海地方で、春に花を咲かせ、葉の形状が菊に似ている事から「春菊」と呼ばれるようになったそうです。
鍋物を飾る葉物の定番で、特に寒い季節に食べられるイメージの「すき焼き」との相性は抜群で、春菊の旬ともピッタリですね。
もちろんその他の料理方法でも美味しくいただける春菊は「天ぷら」「炒め物」「生食・サラダ」「あえ物」「おひたし」と、多くの場面で私たち日本人の食を彩ってくれていますね。
各種ビタミン類やカルシウム、葉緑素が豊富で、日々不足しがちな栄養素を補ってくれます。
また春菊は、食用のイメージが強いせいで見逃されてしまいがちですが、写真のような美しい黄色い花を咲かせるそうです。
ふっと思い出しましたら、「花」にも声をかけてあげてくださいネ♡
蓮根(れんこん)

ハス科の水生植物の肥大化した「茎」を、「蓮の根」・「蓮根」と呼びます。
インドが原産地(諸説あり)で、主に沼地や蓮田で栽培されています。
蓮根の内部は空洞部分が筒状にあり、それが「先を見通す」縁起良きものとして定着し、とくにお正月料理の「おせち」には欠かせない食材となりました。
食物繊維が豊富で、カルシウム、亜鉛、銅なども含まれています。

蓮根料理、「煮物」が王道ですが、炒め物も悪くないんですよ!
きんぴらごぼうに入れたり・・
牛肉とコンニャクを適当な大きさに切りそろえて、薄切りにした蓮根(ニンジンOK)とともにピリ辛炒めや、和風仕立てに味付けするととても美味しくいただけますよ♡
あ、もちろん少しお高めでも「国産蓮根」にこだわってみてくださいネ!
味が段違いです。
見た目にはあまりきれいに映りはしませんが、蓮根の表面にわざと取らずに残している泥。
蓮根は本来は水中の泥深くにある為、出荷以降は特に乾燥と日光は避けねばならず、その対処処置として「泥」が残されているって訳なんですね。
スーパーなどの陳列棚で泥まみれの見た目に、ついつい敬遠しがちな蓮根ですが・・お手に取って一皮むいてあげてみてください(もちろんむかなくても食べられます)。
真っ白な肌が現れ、見た目にも美しく・・煮崩れせず、歯ごたえも失いにくい蓮根は、きっと日々悩ませるレシピの数々を・・上手に埋め合わせて行く事でしょう。
茨城県土浦市
徳島県鳴門市
愛知県愛西市
山口県岩国市
いつも美味しい蓮根を届けてくれてありがとうございます。

小松菜(こまつな)

アブラナ科の野菜。
「冬の菜」という意味の「冬菜」、また「鶯が鳴き始める頃の菜」として「鶯菜」とも呼ばれています。
一年を通じて栽培されていますが、何といっても旬は冬。
葉物に特有のえぐみが少なく、食べやすい小松菜はその調理方法も多彩で、定番の雑煮の具や、おひたしはもちろん・・炒め物やお味噌汁の具、さらに洋風の味付けにも合う事からバターソテーやクリーム系の料理にも用いられています。
気になる栄養素も優秀で、小松菜には豊富なカルシウムを筆頭に、ビタミンA、鉄分、各種ミネラルの摂取に期待が持てるそうです。
小松菜は花(菜の花)が咲いてしまうと、えぐみが出てくるとされていますので「つぼみ」の内に葉を収穫します。
2月の行事・祭
我が国の歴史は世界最古。

2000年を超える世界一長い歴史に恥じぬ様々な出来事が各地で繰り広げられてきました。
ここからは各都道府県にまつわる「2月の行事・祭」をさらりと紹介してみます。

独断で選んだことだから「もっとふさわしい祭があったよ」って思われるかもしれませんが・・そこは大目に見てね!
2つの注意点
旧暦と西暦(グレゴリオ暦)での『月・日』のずれに対しては、一般的に有名な方を採用しています。
例:『赤穂浪士打ち入り事件』は旧暦の元禄15年12月14日ですが西暦では1703年1月30日です。この場合、現在有名になっている旧暦の12月14日の方を紹介しています。
文中にて紹介された祭りや行事の開催日時については、それぞれに貼られているリンクなどで直接ご確認ください。
「武漢発生ウイルス」やその他の感染症対策などで「中止」となっている場合もあります。
都道府県別2月の代表的なお祭り

北海道:『しばれフェスティバル』(「陸別町しばれフェスティバル」ホーム)2月第1土・日曜
日本一寒いとされる陸別町で開催される『極寒祭』。-20度にも及ぶ気温を連日のようにたたき出す環境で、寒さにまつわる様々な催しが執り行われます。また全国的にも有名となった『人間耐寒テスト』には、各地から多くの参加者が訪れ、大会を盛り上げているそうです。
*「しばる」・「しばれる」の語源は、”身が何かに縛られる程の寒さ”から来ているとする説が有力だそうです。
青森県:『八戸えんぶり』(「VISIT HACHINOHE」ホーム)2月17日付近
青森県八戸市を中心とした地域に伝わる「予祝」の伝統行事。豊作や各種慶事をあらかじめ神仏に祈る(ことほぐ)事を「予祝」といい、昔は八戸地方に限らず日本全国の集落ごとに様々な行事が行われていました。八戸えんぶりは鎌倉初期の南部氏下向期にその起源があるとされています。舞に用いる「ジャンギ」と呼ばれる棒が「えぶり」という農具に起源をもつことから、いつしか祭そのものを「えんぶり」と呼ぶようになったそうです。4日間にわたり八戸周辺地域(中心は長者山新羅神社)で舞などが演じられます。
岩手県:『蘇民祭』(「奥州市」ホーム)旧暦の1月7・8日=2月下旬
1000年以上の伝統を持つ『裸祭』。岩手県を中心に1月~3月まで各地で開催されますが、その中で最大級の祭が「奥州市黒石寺蘇民祭」です。「山内川」で身を清めた裸の男衆が、「ジャッソー・ジョヤサ」や「イヨーイヨー」など、独特の掛け声とともに古式にのっとり数多くの祈願儀式を執り行います。そして最大の盛り上がりは午前5時ごろから始められる「蘇民袋争奪戦」で、男衆の本気の奪い合いが日が明けるまでの約3時間にわたり繰り広げられるそうです。
*見た目とは裏腹に「蘇民祭」に参加する男衆は、1週間前より精進料理を食すなど数々の禊をこなしており、五穀豊穣・無病息災を祈願する本来の趣旨を見失う事無く、今日まで素晴らしき伝統を引き継いでいらっしゃいます。
宮城県:『米川の水かぶり』(「米川里山だより」ホーム)2月の初午の日
宮城県登米市「大慈寺」に奥州藤原氏三代「秀衡」公の頃より伝わっている、もとは「仏教(雲水)の行」。現在伝わっている祭の様子は~顔に墨を塗り裸となった男衆が、全身をワラ(しめ縄)で覆い、秋葉大権現に参拝することで神の化身となりかわり、地域の家々に「火伏の水」を打ちかけ火伏・幸福を届ける~のだそうです。また、男衆(神の化身)を覆う「ワラ」を引き抜き、家に持ち帰り屋根に上げると、火伏の護符となると言い伝えられています。
秋田県:『六郷のカマクラ』(「美郷町」ホーム)2月中旬
仙北郡美郷町六郷に、二階堂(六郷)氏下向期(約700年前)より伝わる伝統行事。昔は日本各地であった旧正月にまつわる伝統の姿を、今日まで伝える貴重なものとして国の重要無形民俗文化財に指定されています。四日に渡る期間中に「祈り」「払い」「占い」のそれぞれにまつわる様々な行事が執り行われます(これらを総称して「六郷のカマクラ」と呼ぶ)。その中でも特に盛り上がりを見せるのは「天筆焼き」(どんと焼きの一種)と、その前後に行われる「竹うち」で、火のまわりを南北二軍勢に分かれて長竹を撃ち合い、北軍が勝てば豊作に恵まれ、南軍が勝てば米価が上がるとされているそうです。
山形県:『加勢鳥』(「やまがたへの旅」ホーム)2月中旬
上山市上山城から始まり市内にかけて練り歩く「五穀豊穣」や「商売繁盛」を祈る江戸期からの伝統行事。「けんだい」と呼ばれる藁蓑をかぶった若者が「加勢鳥」に扮し街を練り歩きます。沿道から「加勢鳥」に向かい祝いの水が掛けられます(火伏の伝統)。凍てつく気温の中「加勢鳥」は踊り続け、そこから”自然と抜け落ちた藁”(引き抜いてはダメ)を持ち帰り、家に祀ると各種幸運が授かるとされ、また特に女性がこの藁を髪に結び付けると、一生美しい髪に恵まれるとされているそうですよ。
*「加勢鳥」の語源は「加勢する鳥」「稼ぐ鳥」「火の勢い鳥(燃え盛る炎は鳥が羽ばたいている様に見える)」などに由来しているそうです。
福島県:『御田植祭』(「棚倉町観光協会」ホーム)2月中旬
東白川郡棚倉町「八槻都々古別神社」にて、五穀豊穣を祈り神楽などを奉納する約400年の伝統を誇る「御田植祭」。稲作にまつわる様々な工程を神楽や独特の掛け声(宮司の祝詞奏上)の中に「予祝」として再現し、農耕神としての性格が強い御祭神「味耜高彦根命」に豊作を祈願します。国指定重要無形民俗文化財。
*「八槻都々古別神社」の「つつこ」は、籾を入れる「わらづと(納豆の包んでいる藁のイメージ)」の敬語説・太鼓状の楽器説などがあるそうです。また御祭神の縁起を紐解くと、東征で有名な「日本武尊」が敵を討った際、守護として現れた三神が「箭・矢」を放ち、矢が着いた場所という意味の「箭津幾」とし、その地に神社を創建したのが始まりだそうです。
茨城県:『筑波山梅まつり』(「筑波山梅まつり」ホーム)2月中旬~3月中旬
古くから信仰の対象として崇められる筑波山。その中腹に広がる梅林には約千本の梅が植えられていて、特に「展望あずまや」からの眺めは絶景で梅林全体を見渡せるように展望が開けているそうです。約40日にも及ぶ期間中、紅白入り乱れて咲き誇る梅たちが訪れる観光客の目と心とを癒してくれます。
*霊峰筑波山をご神体とした「筑波山神社」、その境内はなんと約370haにも及ぶそうで、拝殿はもとより山頂を含む山全体が神域となっています。梅まつりの開催直前頃には「年越祭」(2月中旬)も行われるそうです。「梅まつり」にお越しになった際は、山の神様「筑波山神社」にも参詣なさると「開運」が頂けるかもしれませんよ。
栃木県:『八坂神社太々神楽』((宇都宮)「八坂神社」ホーム)2月の最終日曜
宇都宮市八坂神社に伝わる「太々神楽」。出雲佐太神社に流れをくむとされる(出雲流)神楽は、江戸期に神田明神から伝えられたといいます。奉納される神楽は元々20以上の座があったそうですが、現在では午前・午後の2部構成で、それぞれ5座が披露されます。五穀豊穣・無病息災を「主祭神:素戔嗚尊」に年2回(春祭・秋祭)にあわせ、神楽の奉納とともに祈願します。
群馬県:『御篝神事』(「桐生市」ホーム)2月節分の日
桐生市賀茂神社で行われる節分祭の「御篝神事」。この日に合わせて持ち寄られた古い木札やお守り、だるまなどをお炊き上げすることを「御篝」と呼んでいます。白装束を身にまとった氏子たちが東西陣営に分かれ、火の付いた薪を大声をあげながら天高くそれぞれにめがけて投げ合います。夜空に舞い踊る炎の弧は幻想的で、邪気を払い福を呼び込む節分の神事として、見る者の心また清めてくれそうですね。当日は豆まきの他に甘酒もいただけるそうです。
埼玉:『老袋の弓取式』(「川越市」ホーム)2月11日
川越市下老袋氷川神社で行われる弓取の神事。五穀豊穣の祈りとともに子供の成長を祈願する性格も持ち合わせていて、放った弓が的の白い部分に多く刺さると晴天が多く、黒い部分に多く刺さると雨が多いとされています。そして放たれた矢を家に持ち帰ると「子供が健やかに育つ」とされているそうです。当日は甘酒・豆腐田楽が振舞われ、こちらもご相伴にあずかると無病息災のご利益を頂けるそうです。
千葉県:『和良比はだか祭り』(「四街道市」ホーム)2月25日
四街道市和良比皇産霊神社で行わてる別名「泥んこ祭」で有名な「和良比はだか祭り」。豊作祈願のお祭りですが、子供の無病息災祈願も込められていて、この日に合わせて着飾った1歳未満の幼児の額に「神田の泥」を塗ってもらうと健康を頂けると言います。祭りの盛り上がりは締め込み姿の裸衆による「泥騎馬戦」「泥なげ」で、泥をかぶるほどに厄が払われ、無病息災・豊作に恵まれるそうです。
*観光で詰めかけた見物客側にも幸運の「泥」がかかるそうですよ!
東京:『うけらの神事』(「台東区」ホーム)2月節分の日
台東区五條天神社で行われる節分の神事。「うけら」とは薬や食用に出来るキク科の植物の事で、神事の間「うけら」を炊き続ける事で邪気を払い、福の来訪を祈願します。神事は「蟇目式」「鬼(鬼役)との問答」「豆まき」と、順に執り行われます。
*見学には事前申し込みが必要です。

「蟇目式」とはお祓いされた鏑矢を用いた祓いの事で、弓を引く音や矢が放たれる音によって「邪気」を祓うとされています。
元々は「匈奴」(モンゴル高原の騎馬民族)の風習(戦勝祈願・軍事練習)だったらしく、日本へは鎌倉期頃には伝わっていたそうです。
神奈川県:『田打舞神事』(「寒川神社」ホーム)2月17日
毎年2月17日・高座郡寒川町寒川神社にて、五穀豊穣・商売繁盛を祈願した舞や音楽の奉納神事を「田打舞神事」と呼んでいます。寒川大明神(寒川比古命 ・寒川比女命 )に祈願する「祝詞」より始められ、稲作の”田おこしから収穫まで”の歩みを(「黒尉」・「白尉」の翁面をつけた神職などの)「舞」にて再現・奉納します。別名「福種蒔」とも。
*神事に用いられた籾種は地域の農家に配られ、実際に栽培されるそうです。
新潟県:『長岡雪しか祭』(「長岡市」ホーム)2月下旬
長岡市千秋が原ふるさとの森で開催される催しの総称。その前身は冷凍技術が普及する前、~雪をピラミッドのように高く積み上げ表面をワラで覆い保存しておく「雪にお」~が長岡地方の各地でつくられていたそうで、その雪の氷で商売をしていた「雪しか屋」の屋号が祭の語源なんだそうです。
「花火」「雪の女王コンテスト」「ペットボトルロケット」「障害物競争」など、祭りの2日間には多彩な催しが繰り広げられるそうです。
富山県:『南砺利賀そば祭り』(「旅々なんと」ホーム)2月中旬
南砺市利賀村利賀国際キャンプで開催される催しの総称。利賀村では出稼ぎ帰りや来訪客をもてなすために「ごんべ」と呼ばれる「そばや山菜料理を振舞う会」があったそうです。こんにちのお祭りはその故事にあやかったもので、利賀村産のそば粉で打った「手打ちそば」はもちろん、イワナや五平餅を雪景色の中に堪能でき、その他にも「花火」「民謡」「伝統芸能」「ショー」などが祭の3日間に開催されます。
石川県:『ぞんべら祭り』(「能登ふるさと博」ホーム)2月上旬
輪島市門前町鬼屋神社行われる五穀豊穣・豊作を祈願する神事。「ぞんべら」の語源は「水がざぶざぶしている様」を表現した「そんぶり」という言葉が変化して伝わったものとされ、古くは都(京)にあった「能・狂言」の流れを汲んでいるとされています。稲作にまつわる一連の作業を田遊びとして演じ、豊作を祈願します。
*鬼屋神社は山あいの立地の為、駐車スペースの確保に困難すると予想されます。お出かけの際はご注意ください。
福井県:『水海の田楽能舞』(「いい池田・JP」ホーム)2月15日
今立郡池田町水海鵜甘神社に鎌倉時代から伝わる伝統行事。鎌倉5代執権北条時頼(1246~1256)が同地に立ち寄った折、豪雪に見舞われ、一冬を越さねばならなくなったそうです。村人は時頼公を慰めようと農村に伝わる「田楽」を披露したところ、時頼からは「能舞」が返礼として伝えられました。
こんにちの「水海の田楽能舞」はこの故事に則り「田楽4番」「能舞5番」が、雄略天皇(5世紀)の頃「足羽の水源神」として祀られた格式高い古社「鵜甘神社」(御祭神:応神天皇・大己貴命)に奉納されます。*国指定重要無形民俗文化財
山梨県:『塩澤寺厄除地蔵尊大祭』(「甲府市」ホーム)2月中旬
甲府市塩澤寺のご本尊「地蔵菩薩(座像)」に厄除けを願う大祭。開創が弘法大師(800年頃)まで遡ることが出来るという古刹塩澤寺。ここに安置される地蔵様は、大祭の24時間に限り特に厄除けや願い事を聞き届けてくれるそうで、全国各地から多くの方々が参詣に訪れます。
また、厄年の魔よけ祈願は少しユニークで、丸いお金(小銭)や丸い飴など、とにかく丸にちなんだものを”歳の数だけ”お供えすると厄逃れが出来ると言われています。
長野県:『大網火祭り』(「おたりを見る」ホーム)2月第2土曜日
北安曇郡小谷村・東阿弥陀ヶ原会場で行われる火祭り。元は山岳信仰の流れをくむ五穀豊穣・無病息災を祈る儀式が前身。篝火の炊かれた会場の中を、締め込み姿の男衆が「雨飾山」の使いである鬼に扮し、みこしに巫女を担いでやってきます。巫女は神様を迎える舞を踊り、鬼集は燃え盛る炎の周りを雄叫びをあげながら力強く舞い、諸々を祈願します。
「雨飾山」:新潟県と長野県の県境に位置する標高1,963 mの山。山頂に石仏がある事からも山岳信仰の名残を色濃く残しています。
岐阜県:『谷汲踊り』(「揖斐川町観光協会谷汲支部」ホーム)2月18日
揖斐川郡揖斐川町谷汲山華厳寺などの会場で奉納される雨ごいや五穀豊穣を祈願した踊り。「谷汲踊り」は元々源平合戦(1185年)の勝者武将が鎌倉凱旋の途上に、同地で踊った踊りが伝わったものだとも言われています。踊り手が背負う高さ4Mにも及ぶ「しない」と呼ばれる色とりどりの飾りは鳳凰の羽に見立てたもので、数種類の踊りと独特の演奏とも相まって、見る者の視線を奪うとともに、奉納の踊りにふさわしい様式美を今日に伝えてくれています。
静岡県:『大室山山焼き』(「伊豆・伊藤観光ガイド」ホーム)2月中旬
伊東市大室山の山焼き行事。その伝統は古く700年以上の歴史を誇っているそうで、山の保全と質の良い「カヤ」を採取する事が目的に始められたそうです。標高580Mの山頂めがけて大室山全体が炎に包まれる様はまさに圧巻。伊豆地方の春を告げる風物詩を一目見ようと、今では全国から観光客が詰めかけるそうです。
愛知県:『豊橋鬼祭』(「安久美神戸神明社」ホーム)2月10・11日
豊橋市安久美神戸神明社に千年を超える昔から伝わる神事。「鬼祭」の名称からもわかる通り、数々の神事の最重要項目として「鬼退治」があり、~暴れる鬼を武神天狗が術を尽くして調伏する~これを「赤鬼と天狗のからかい」というそうで、この時逃げる鬼が白い粉(小麦粉)と飴をまき散らし、粉を浴びると一年の無病息災のご利益があるとされ、また飴は「タンキリ飴」として、厄除けに効果がある名物となっているそうです。
三重県:『棚橋の御頭神事』(「観光三重」ホーム)2月中旬
度会郡度会町棚橋地区に江戸初期より伝わる悪霊退散、家内安全を祈願する神事。『御頭神事』の主役は獅子舞で、昼の「座敷舞」と夜の「打ち舞」の二部構成になっており、それぞれに意味合いが違っています。夜の11時を過ぎたあたりで、天狗と立会人による「ウマ」(問答形式)という行事が行われ、雌と雄の獅子がお互いに相手の名前を呼びながら引き合うように独特の舞を披露します。
滋賀県:『田村神社厄除大祭』(「田村神社」ホーム)2月17・18・19日
甲賀市土山町田村神社に伝わる厄除けの大祭。その縁は古く平安時代の弘仁3年(812)まで遡るそうです。この年作物がまったく育たず疫病が流行したそうで、嵯峨天皇直々の勅により田村神社の御祭神「坂上田村麻呂公」に祈願することになりました。三日三晩に及ぶ大祈祷の末、災難は無事治まったと伝えられ、以来「厄除大祭」(通称:田村まつり)として数多くの神事が引き継がれています。
田村麻呂公のお告げにちなんだ、「豆を川に流す事で厄落としをする『厄豆落し』」などの神事が執り行われます。
京都府:『初午大根焚き』(「三千院」ホーム)2月中旬
左京区大原三千院に伝わる農耕儀礼の伝統行事。古くより伝わる稲荷神(宇迦之御魂神)の故事(馬に乗って神の国より降り立った)にちなんで、全国的に「初午の日」にあわせて神事を行う習わしがありました。三千院の「初午大根焚き」は、この日に合わせて特別に祈祷された「地元大原産の大根」が大釜によって炊かれ、寒さをこらえて参詣に訪れた人々に振舞われます。五穀豊穣・無病息災とともに、開運成就にもご利益があるとされる特別な大根を頂く行事です。
大阪府:『一夜官女』(「大阪市西淀川区」ホーム)2月下旬
西淀川区野里住吉神社に伝わる「生贄祭」。雅な名称とは裏腹に「一夜官女」は”悪神を鎮めるための生贄の故事”が祭化した行事なんだそうです。そのむかし「野里」地区はたびたび水害に襲われていたそうで、その元凶、暴れ川の中津川(現西淀川)を「大蛇」や「龍」にみたて、何とかその怒りを鎮めようと7人の生娘(官女)を生贄として差し出していたそうです。祭りはこの時の別れの儀式などが主体となっています。
*生贄の7年目、岩見重太郎の「狒狒退治」としてこの悪習は鎮められたそうです。こちらはヤマタノオロチ伝説によく似た物語となっています。
兵庫県:『大覚寺身振り狂言』(「尼崎市」ホーム)2月節分の日
尼崎市大覚寺に伝わる節分の伝統行事。江戸期に奉納された記録の残る狂言は全く無言のまますすめられ、演者の身振りだけですべてを表現(能に近い?)する事から大変珍しく、女性(役)が鬼(役)にお酒を勧めて酔わそうとするなど、滑稽な場面が多く見られるのだとか・・。数回の豆まきとともに厄除けにちなんだ様々な縁起の品も用意されています。
奈良県:『国栖奏』(「吉野町」ホーム)2月下旬(旧暦1月14日)
吉野町浄見原神社に伝わる伝説的な奉納歌舞。その当時吉野の地元人を「国栖(人)」と称し、応神天皇(300年代後半)の吉野行幸には飲食と歌舞をもって歓迎し、壬申の乱(672年)においては大海人皇子(後の天智天皇)が挙兵した際に、この「国栖奏」を御覧になったと伝えられています。翁の舞が主役で、「エンエー」と皆が唱和し、それに合わせて奏でる鈴と鼓の音が独特の古式を呼び覚まします。
*掛け声の「エンエー」は”遠栄(長く栄える)”が語源だと言われています。
和歌山県:『御燈祭』(「WIKI」)2月6日
新宮市神倉神社に伝わる火祭り。熊野年代記によれば敏達天皇三年(574)まで遡る神事で、熊野神の御光臨を再現し、神様より下賜された「火」を「新しく更新する火」として地域の各家庭に届ける内容になっています。「御燈祭」の圧巻は、全国に数ある火祭りの中でも最大級の規模で執り行われることで、1週間前より禊を済ませた約2000人の「上り子」と呼ばれる男性が白装束を身にまとい、腹回りに荒縄を締め神火の松明を持ち、神倉神社の山頂から約500段の石段を駆け下ります。
*滝のように神火(松明)が流れる様は「下り竜」と称されています。
鳥取県:『長谷の牛玉授け』(「とっとり旅の生情報」ホーム)2月下旬
倉吉市長谷寺に伝わる旧暦の新年行事。「牛玉宝印」の護符(棒状のお守り)を奪い合い、その年の「五穀豊穣」「家内安全」「無病息災」などを授かる・祈願する儀式が「牛玉授け」と呼ばれています。
*なんと、この「牛玉授け」は誰でも参加が可能なのだそうです。例年12本用意された護符を参拝者一同で奪い合います。運よく授かっても授からなくとも良き思い出を頂戴しそうですよね。
*長谷寺のご本尊は(秘仏)十一面観音だそうです。
島根県:『秋鹿の大餅さん』(「秋鹿公民館」ホーム)2月上旬
松江市秋鹿町高祖寺に弘仁8年(817)より伝わる旧正月の伝統行事。正式名称は「高祖寺奥院御頭行事大餅」。重量130kgにも及ぶ大餅を1週間前に準備しておき、祭りの本番に若者衆によって町まで担ぎ降ろされるそうです。切り分けられたお餅は参拝者に配られ、その年の「五穀豊穣」「無病息災」「家内安全」がもたらされるそうです。
*この伝統には一風変わった言い伝えがあるそうで~高祖寺の大日如来が八雲村の星上寺から博打の負けの腹いせにお餅を盗んだ~という物語があるらしいのですが・・果たしてその真相は?(笑)
岡山県:『福力荒神社大祭』(「つやま小旅」ホーム)2月上旬ころ
津山市福力荒神社に伝わる旧正月にちなんだ大祭。江戸期津山藩時代に安産やマムシ除けの祈願をしたところ、大変ご利益があったとされています。荒神神社の御祭神がヤマタノオロチ退治で有名な「素戔嗚尊」ということもあり、大祭に家族一同で参拝するとその年にマムシ被害に遭わないのだとか。期間中は全国から津山市の人口を超える参拝客が詰め掛け、参道には数多くの出店が立ち並び、特に農業関係資材などの出店が目を引くそうです。
広島県:『三原神明市』(「三原神明市」ホーム)2月第2日曜を含む3日間
三原市本町、東町、館町を中心に伝わる、もとは伊勢神宮を祀る祭市。戦国期の名将毛利元就の三男「小早川隆景(公)」が三原城を築城した頃に始められたとされています。隆景公は”祭りが盛況だと庶民の暮らしが豊かになっている”という指標として、大変この「市」を重要視していたのだとか。現在でもその精神は受け継がれ~願いが成(鳴)るように~と、小さな鈴・小石を入れた「三原だるま」にちなんだ行事や、植木市、その他500店に及ぶ出店が観光客をあたたかく出迎えてくれています。
山口県:『下関ふくの日まつり』(「下関を楽しも!」ホーム)2月11日
下関市南風泊市場において開催される「河豚」にちなんだ催し。河豚の取扱量日本一を誇る下関では、毎年2月9日「河豚の日」の直後の祭日、「建国記念日」に合わせ魚介類の即売、袋せりオークション、河豚料理教室、商品が当たる大抽選会等が行われます。そしてなんといっても祭の目玉は先着1,000名に対する「ふく鍋の無料提供」で、こちらは例年長蛇の列となるそうです。

山口県や九州の北部では・・フグは確か「福」にちなんで「フク」と濁らずに発音するんだったね。
徳島県:『御的射祭り』(「美馬市」ホーム)2月上旬
美馬市穴吹町白人神社に仁安元年(1166)より伝わる伝統行事。保元の乱の後、讃岐国(現香川県)に配流(島流し)されていた崇徳上皇を訪ねた源為朝が、阿波と讃岐の国境の相栗峠(標高560M)で弓を引いたところ、矢が同地に着いたとされています。後に社殿が建立され、弓矢が奉納されたことに由来するのが現在の「御的射祭り」。お祓いを済ませた射手が中心に「鬼」と書かれてある的にめがけて矢を放ち、厄除け、五穀豊穣、無病息災を祈願します。
父為義の八男。頼朝・義経の叔父。
平安末期の武将。身の丈2Mを超えていたとされる剛の者で、当代一の弓の使い手としても有名。特に九州地方での活躍は伝説的で「鎮西八郎為朝」と称すようになる。保元の乱以降その生涯を「崇徳上皇」方に捧げ各地で奮戦。最後は伊豆に流された後自害したとされています。
香川県:『金毘羅宮紀元祭』(「金毘羅宮」ホーム)2月11日
仲多度郡金毘羅宮(通称:こんぴらさん)で執り行われる「紀元祭」にまつわる神事。毎年の建国記念日(紀元節・初代天皇である神武天皇が即位された日)にあわせて皇室の繁栄を祈願し、また世の平和、人々の安息を祈ります。厳かな雰囲気の中、巫女による「浦安の舞」が奉納され、神武天皇陵に向かって「遥拝」が行われます。
進入困難な場所や、距離の離れた場所(神社・神域)に向かっておがむ事。
愛媛県:『西江寺えんま祭り』(「いよ観ネット」ホーム)2月下旬の3日間
宇和島市西江寺に所蔵される閻魔絵、地獄極楽絵図の一般公開日に開催される祭。別名「えんま様」と呼ばれるほど地域に愛されている西江寺。祭りの期間中のみ公開されるタタミ八畳ほどの巨大な閻魔絵はまさに圧巻の一言。その他の地獄にまつわる絵図も迫力満点で、地域の子供たちは小さい頃より「欺く事」「悪事」の因果応報を絵図の中に学び取ります。地元出身の画家「村上天心」の作。えんま祭そのものは350年以上の伝統を誇るそうです。
高知県:『椙本神社春大祭』(「椙本神社」ホーム)2月下旬
吾川郡椙本神社の春の大祭。この日に合わせて手作りされる「古式福俵」。神社のお膝元、仁淀川水系で採れた「笹」に、「いぐさ」を編んだ小型の俵や短冊などが結び付けられた縁起物を家に持ち帰る事で大国主さまよりの福を授かるとされています。名野川神楽の「大国主の舞」や「獅子舞」が奉納され祭りを盛り上げます。
福岡県:『百手の的射』(「産宮神社」ホーム)2月25日
糸島市産宮神社に伝わる三韓征伐期の故事に由来する神事。朝鮮半島出兵前に神功皇后が産期の遅れを祈ったところ、征伐後無事に「応神天皇」を安産のもと御出産なさったそうです。(以来「産宮神社」は安産・子宝の神社として有名。)「百手の的射」はその感謝の印として2月25日に神前に奉納されたもので、以来産宮神社の伝統神事として今日に伝えられています。
比定3世紀前半。朝鮮半島内にあった百済・高句麗・新羅の三国を平定(討伐)した戦い。
主に戦ったのは新羅のみ。単に新羅討伐といわれることもある。
全国の八幡神社は「神功皇后」「応神天皇」「三姫神(宗像三神)」をあわせてお祀りしております。
また応神天皇は八幡様「誉田別命」と同一視されています。
総本社は豊前国(現大分県)「宇佐八幡宮」。
佐賀県:『見島のかせどり』(「さがの歴史・文化お宝帳」ホーム)2月第2土曜日
蓮池町見島の熊野神社に伝わる神事。約380年前の江戸期、見島地区に疫病が流行った折当時の藩主が熊野神を勧請(神仏の分霊をお迎えする事)したことに由来します。「かせどり」は”加勢する鳥”・”稼ぐ鳥”に語源を持つ来訪神と類似の性格を持つもので、秋田の「ナマハゲ」や山形の「加勢鳥」のように、昔は全国各地にて(旧暦)小正月の厄払い・五穀豊穣行事として行われていました。雌雄の二匹のかせどりが各家庭に勢いよく舞い込み、厄払い、福をもたらします。白布で隠されたかせどりの顔を覗きこむことが出来ると一年の幸運を授かると言い伝えられています。
詳しくはこちら⏎見島のカセドリ(国指定 重要無形民俗文化財)
長崎県:『豆酘の赤米神事』(「対馬観光物産協会」ホーム)2月中旬
対馬市厳原町豆酘地方に伝わる稲作にまつわる伝統神事。古くから豆酘地区では稲の原生種「赤米」をご神体として崇め、それにまつわる数々の行事が一年を通じて行われています。「赤米神事」はその中でも最も重要な神事で、毎年旧暦の1月10日、不浄を避けるため深夜に多久頭魂神社にてご神体の引継ぎ式「神渡し」が執り行われ、御神体(赤米)が前年の「頭主」家から次の頭主家へとお渡りになります。
熊本県:『足手荒神大祭』(「足手荒神・甲斐神社」ホーム)2月中旬
上益城郡嘉島町足手荒神(通称:甲斐神社)の大祭。戦国期の武将「甲斐親英(宗立)」が天正15年(1587)に始まった「肥後国人一揆」に国人衆の大将格として参戦。しかし奮戦虚しく戦いは敗れ、負傷した親英公は嘉島の地に逃れ地元住民に介抱されたと言います。その際「(介抱)お礼に死んだあと手足の病の守り神となろう」と遺言したとされます。以来同地に御鎮座する「手足荒神」に祈願すると手足の病はもちろん、その他の怪我や傷が治るといわれています。大祭では一般的な絵馬の代わりに「手型・足型」の木板に病状・傷・名前を書いて奉納します。
「足手荒神」や「手足荒神」は秋田県や九州北部地方(主に熊本県・大分県)にその信仰が見られ、「庚申信仰」(陰陽説に由来する禁忌にまつわる信仰・行事)とともに、手足を負傷した落人の伝承が結び付いています。
その名の通り、御祈願すると手足をはじめ様々な健康被害が回復するとされています。
なお「嘉島町手足荒神」の御祭神は「甲斐親英」公と、肥後国を代表する名将「甲斐宗運」公(親英公の父)で、「足手荒神(信仰)」の総本社となっております。
大分県:『天念寺修正鬼会』(「豊後高田市」ホーム)2月上旬
豊後高田市長岩屋天念寺を中心に行われる鬼と火にまつわる伝統行事。国崎半島(六郷満山)に花開いた山岳信仰の影響を色濃く受ける五穀豊穣・無病息災を祈願する行事で、千年を超える伝統を持つとされています。日中に様々な勤行がなされ、夜の10時を回ったころに「修正鬼会」の名の通り、2体の「鬼」(災払い赤鬼・荒黒鬼)が松明をもって暴れまわります。大迫力のうちに数々の儀式が執り行われますが、なかでも鬼の持つ松明で背中や肩を叩いてもらうと一年の厄払いや無病息災にご利益があると伝えられています。
国東半島一帯は別名「仏の里」と呼ばれるほどかつては山岳信仰が盛んだった地域で、天台宗系の仏教と宇佐八幡宮信仰が融合する独特の信仰文化が花開きました(開山1300年以上)。六郷とは地域の郷名「田染・来縄・伊美・安岐・国東・武蔵」の事。
現在でも国東半島には山岳信仰にまつわる様々な伝統行事が執り行われ、寺院・仏像・摩崖仏なども数多く点在・安置されています。
国宝:「富貴寺大堂」
重文多数:「真木大堂の諸仏」
摩崖仏:「熊野磨崖仏」
宮崎県:『熊野神社の歳頂火』(「トリップ延岡」ホーム)2月中旬
延岡市須佐町熊野神社に霊亀2年(716)から伝わる伝統行事。熊野神(権現)の「神鏡」を持って諸国を巡礼していた一行が須佐の地にて野営をした翌朝、ご神体が重くなり動かなくなったため同地にお社を建立したといわれています。以来「歳頂火」と呼ばれる火祭りの中にその伝説を伝え、全国各地にて行われている「どんと焼き」同様、旧暦の小正月の行事として正月飾りの焼納の他、神火で焼かれたお餅などを頂くと五穀豊穣・無病息災にご利益があると言われています。
*「歳頂火」の火柱は10Mを優に超え、夜のとばりに浮かぶ炎と風にあおられ舞い散る火の粉の共演は幻想的で、神事の名にふさわしいものとなっています。
鹿児島県:『高隈かぎ引き祭り』(「どんどん鹿児島の旅」ホーム)2月第3日曜日
鹿屋市串良町中津神社に約350年前から伝わる神事。上高隈、下高隈の両地区に分かれ「かぎ状」になった雄木・雌木を絡ませ大きな掛け声とともに引き合い(かぎ引き)ます。勝敗は三本勝負。雌雄はそれぞれ一年交代制で、勝利地区は豊作に恵まれるとされています。五穀豊穣と山仕事全般の無事を祈願する迫力満点の壮観なお祭りとなっています。
*中津神社の御祭神は「中津少童命(中津綿津見神)」です。
沖縄県:『浜比嘉島の年頭拝み』2月上旬
うるま市浜比嘉島に伝わる旧正月にまつわる伝統行事。浜比嘉島はその昔、沖縄の神々の親神様(男女二神)が暮らした島だそうで、この両神への年賀のあいさつ行事が今日の「年頭拝み」となっています。伝統の舞が奉納されるほか、普段は立ち入りが固く禁じられている聖地「シルミチュー」(洞窟状)内にも、神事の後には(一般の方も)入れるそうで、洞窟内に安置されている大変有名な「子宝の石」の霊験にも近づくことが出来るそうです。
*詳しくはこちら⏎「浜比嘉島 旧正月 シルミチュー 2020 1」
動画出典:hts tks(様)
2月の災害史
過去日本国内を襲った2月の代表的な災害をご紹介。
残念ながら自然災害はその訪れる時と場所を選んではくれません。日本人ならば決して忘れてはならない災害への備えとして、記憶の片隅に留めおいていただきますように。
日本列島太平洋岸一帯:『慶長地震』慶長9年(1605)2月3日
震源は解明されていませんが、四国南東沖と房総沖の「2ヶ所連動説」が有力視されています。
列島の太平洋岸の広い範囲に津波が押し寄せ、死者は推定1万人規模にのぼった大災害となりました。
八丈島:10~20M
高知県室戸市付近:8~10M
三重県伊勢市付近:4~5M
日本列島の広範囲:『平成26年豪雪』平成26年2月の1か月間
主に「2月7日から9日にかけての降雪」と、「2月14日から16日にかけての降雪」で起きた広範囲の雪害。
路面の凍結や交通事故などで全国の広範囲で死者・けが人が続出、2月中死者のべ20人以上・負傷者のべ2000人以上となりました。
*降雪そのものが珍しく人口が密集する南関東でもその被害は甚大で、「成田空港」ではアクセスするすべての交通機関が不通となり、2日間”陸の孤島”と化しました。
福島・山形両県:『吾妻連峰雪山遭難事故』平成6年2月13・14日
無謀な登山計画と天候の急変が招いた遭難事故。
参加メンバー7人・低体温症による死者5名。
福島県と山形県にまたがる「吾妻連峰」(最高峰・「西吾妻山」2035M)から、猛吹雪の中を強行下山した事による事故で、メンバーは登山者カードの提出もラジオの携帯も全員が怠っており、家族にすら具体的な登山計画を伝えておらず、結果捜索活動自体も大幅に遅れたそうです。
*悪条件の中、メンバーの意見を強行下山へと傾けさせた理由は「全員が月曜の出勤予定があったから」だそうです。
*『登山計画』は登山行為そのものに対する準備の他に、十分な日程的余裕も考慮しなければならない事を、私たちに訴えかける様な事件となりました。
まとめ

いかがでしたでしょうか。
当サイトのキャッチフレーズ『開運』が詰まったいろんな2月をご紹介してみました。
名称・行事・縁起・花・誕生石・魚・野菜・祭・そして災害・・
知っている事も知らなかったことも含め、何気ない日常会話の豆知識などに、計画途中の旅行先の口実などに、本ページが少しでもお役に立ちみなさんの長い人生の中で「節分に代表される季節(春)の始まりが詰まった2月」を、今までよりももっと楽しんでもらえる一助となりましたら幸いです。